トップQs
タイムライン
チャット
視点
グレイグ・ネトルズ
アメリカの野球選手、コーチ (1944 - ) ウィキペディアから
Remove ads
グレイグ・ネトルズ(Graig Nettles, 1944年8月20日 - )は、アメリカ合衆国・カリフォルニア州サンディエゴ出身の元プロ野球選手(三塁手)。右投左打。
Remove ads
経歴・人物
1965年のMLBドラフトでミネソタ・ツインズから4巡目(全体74位)で指名され入団。メジャーデビューは1967年9月7日。ツインズでは1969年まで在籍し、1969年12月10日にツインズ側がネトルズを含め4選手、インディアンス側がルイス・ティアントとスタン・ウィリアムズの2選手のトレードでネトルズはインディアンスへ移籍。
ツインズ在籍時はハーモン・キルブルーが三塁手として出場していたためネトルズは外野手として出場していたが、インディアンスへ移籍してからは三塁手として出場[1]。1年目の1970年に157試合に出場し以後メジャーに定着。翌1971年には28本塁打、86打点の成績でチーム二冠、守備ではアリーグ新記録となる412補殺、54併殺を記録[1]。1972年11月27日、インディアンス側がネトルズとジェリー・モーゼスの2選手、ヤンキース側が4選手のトレードでネトルズはヤンキースへ移籍。
1975年にオールスター初選出。1976年はリーグ最多の32本塁打を記録。1977年は自己最多となる37本塁打、107打点、99得点を記録し、MVPの投票では自己最高の5位にランクし、ゴールドグラブ賞を三塁手として初受賞。チームは1977年から2年連続でロサンゼルス・ドジャースを破りワールドチャンピオンとなった。ネトルズはその一員として出場。特に真価を発揮したのは1978年のワールドシリーズ。絶妙な守備を見せてチームをワールドチャンピオンに導いた。
1981年はリーグチャンピオンシップシリーズでオークランド・アスレチックスを破り、3年ぶりにワールドシリーズに進出。ネトルズはリーグチャンピオンシップシリーズのMVPに選出された。ワールドシリーズでは2勝4敗でドジャースに敗れた。1982年1月29日にヤンキース7代目のキャプテンに就任し、1984年3月30日にサンディエゴ・パドレスへ移籍するまで務めた[2]。
パドレスでは1986年までの3シーズンを過ごし、1987年はアトランタ・ブレーブス、メジャー最後のシーズンとなった1988年はモントリオール・エクスポズでプレー。
日本の南海ホークスでプレーしたジム・ネトルスは実弟。ジムの娘(グレイグの姪)の夫は元メジャーリーガーのマイク・スウィーニーである[3]。
Remove ads
詳細情報
年度別打撃成績
- 各年度の太字はリーグ最高
年度別守備成績
- 内野守備
- 外野守備
- 各年度の太字年はゴールドグラブ賞受賞
タイトル
- 本塁打王:1回(1976年)
表彰
- ゴールドグラブ賞(三塁手部門):2回(1977年、1978年)
- リーグチャンピオンシップシリーズMVP:1回(1981年)
記録
- MLBオールスターゲーム選出:6回(1975年、1977年 - 1980年、1985年)
背番号
- 35(1967年)
- 28(1968年)
- 2(1969年)
- 12(1970年 - 1972年)
- 9(1973年 - 1986年、1988年)
- 19(1987年)
Remove ads
脚注
関連項目
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads