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サンデープロジェクト

テレビ朝日系列で生放送された報道・政治討論番組 ウィキペディアから

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サンデープロジェクト』(英称:SUNDAY PROJECT)は、テレビ朝日と朝日放送(現:朝日放送テレビ)の共同制作により、テレビ信州福井放送を含むテレビ朝日系列[注 1]1989年4月2日から2010年3月28日まで毎週日曜 10:00 - 11:45(日本標準時)に生放送で放送されていた報道政治討論番組である。略称は「サンプロ」。公式ホームページ開設から一時期、トップページ上に「日曜日の朝は、ニッポンを考えよう!!」のキャッチコピーを掲げていたことがある。

概要 サンデープロジェクト SUNDAY PROJECT, ジャンル ...
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概要

要約
視点

NHKの『日曜討論』などと同様に、政治家たちが本音で語り合う(とされている)討論形式を売りにしている。1987年TBSサンデーモーニング』に続く形で開始された各局の日曜午前中の報道系番組の一つである[1]

田原総一朗が総合司会を務める討論番組『朝まで生テレビ!』の成功を受けて、1週間のニュースを振り返る形式の先行番組の『サンデーモーニング』よりテーマを絞る形で本番組が企画された[2]。放送開始時の視聴率は5.5%(NHKの『日曜討論』の視聴率と同程度)だったがその後視聴率は次第に上昇していき、1990年代に入ると常に『日曜討論』を上回る数値を記録するようになった。番組の成功によりフジテレビも政治討論の生番組『報道2001』を開始し、NHKも『日曜討論』を録画から生放送に切り替えるなどの影響を及ぼした[3]

2009年2月22日の放送で放送1000回を、同年4月で放送開始20周年をそれぞれ迎えた長寿番組であった。これによって、日曜日のテレビ朝日系レギュラー番組で放送開始から20年以上続く長寿番組はそれまでの4本から5本[注 2]に増えた(うち2本は朝日放送単独制作)。

討論を進行する田原は、言質を取られまいとする政治家を挑発して追及するスタイルを取ったが[4]野党の政治家やゲストを含む評論家は田原と一緒に好き勝手に発言する傾向があった[要出典]

レギュラー・コメンテーターを含む経済分野の評論家は、フジテレビの『報道2001』やテレビ東京の『ワールドビジネスサテライト』の出演者と重複することが多く、島田晴雄竹中平蔵森永卓郎などのいわゆるタレント・エコノミスト、牛尾治朗稲盛和夫などのタレント財界人を輩出し、牛尾や竹中が政府中枢に食い込む踏み台のひとつとなった。

番組での各党党首幹事長政調会長クラスの発言はニュース新聞記事などで報道され政局を左右することから、「サンプロ現象」という流行語を生み出した[5]

政治家に与える影響は少なからずあり、番組内で政府の施策を執拗に攻撃するゲストのリチャード・クーに対して、返答に窮した山崎拓はその場しのぎに政府の顧問になってもらうと応じ、リチャード・クーは形骸的だが政府の顧問に任用された。また、田原は番組内で「○○さん、言いたいことがあったら電話くらはい」と首相や大臣をしきりに挑発した。実際に宮澤喜一財務大臣のときに番組中に電話してきたことがあった[要出典]

番組後半はVTR取材による特集コーナー。前半の中心は「討論」であるため、その分特集にはコストがかけられている。

番組開始当初は視聴者を代表する存在ということで総合司会に芸能人を起用していたが、2006年秋以降はテレビ朝日と朝日放送の局アナウンサーが総合司会を務める形になった(就任当時)。さらに2007年秋以降は、男女総合司会の双方がテレビ朝日の局アナとなった。

番組開始当初は、政治や社会といった硬派なコーナー一色でなくワイドショー的な番組構成だった[6]東尾修をコメンテーターにしたプロ野球コーナーや、女性レポーターが当時テレビで使われ始めたSNGシステム(A-SAT)による全国各地の風光明媚な場所から中継を行なうコーナーがあった[7]。SNGシステムを使用したのは、本番組が初で、従来は生中継が不可能と言われた秘境の瀞峡からの生中継も実現した[2]。「普通のおばさんになりたい」と歌手を一時引退していた都はるみも「普通のおばさん代表」として、ワイドショー的な切り口のコーナーでコメンテーターを務めていた。田原のコーナーも当初は「田原総一朗のエキサイティング・インタビュー」(後に「エキサイティング・マッチ」→「ザッツ・エキサイティング」に改題)というそれらのコーナーの中にある15分の一コーナーに過ぎずゲストも政治家だけでなく話題の人物を呼んでいたが、政治家の生出演が人気となり田原のインタビューと討論が番組のメインになった[6][8]

制作体制

本番組は、レギュラー番組としては初のテレビ朝日と朝日放送の共同制作、共同セールス番組であった[2]

朝日放送側が編集長を出しており、関西からの情報発信ということで、番組開始時には、島田紳助、高坂正堯、都はるみは京都府出身、司会の小西克哉と磯部典子は大阪府出身、その他にも田原総一朗や東尾修ら関西出身者が出演者の多くを占めていた[2]

2006年10月から2007年9月まで1年間総合司会を務めた赤江珠緒は最初の半年間は朝日放送から出向する形で出演していた(それ以前も赤江は『スーパーモーニング』で2003年7月から2006年3月にも朝日放送からの出向出演という形で総合司会を担当したことがある)。

朝日放送では7・8月の日曜日に夏の高校野球大阪大会(記念大会は北大阪大会・南大阪大会)の準決勝・決勝開催時や夏の高校野球全国大会開催時でも朝日放送は本番組を休止していたが、この場合でもテレビ朝日・朝日放送の共同制作となっていた。ただし、振り替え放送は基本的に行われなかった(朝日ニュースターで見ることができた)。

番組終了とその後

2009年12月25日、テレビ朝日が2010年3月限りでの終了を発表[9]し、同年3月28日の放送をもって終了。21年の歴史に幕を下ろした。後番組は小宮悦子を総合司会とした報道番組サンデー・フロントライン[10]となり、田原はBS朝日の新討論番組激論!クロスファイアへ出演することになったほか、寺崎はワイド!スクランブルに専念となった。なお、小川は『-フロントライン』でもそのまま続投した。

また、テレビ朝日との共同制作で参加していた朝日放送はこの本番組の終了と共に共同制作から外れ、『-フロントライン』からはテレビ朝日の単独制作となった。このため、1986年秋の改編で『文珍・頭の新体操』が終了した後の日曜10時台前半における30分枠として分割スタートした『世界名画の旅』以来、23年半続いた朝日放送制作枠を事実上テレビ朝日に返上するため、朝日放送制作全国ネット枠が1本減ることになった。

本番組を11時半飛び降りネットで行っていたクロスネット局の福井放送は本番組終了時点ではネットされていたが、『-フロントライン』はネットされずこの本番組が放送されていた時間帯は日本テレビ『誰だって波瀾爆笑』の遅れネットといったローカルセールス編成に変更となった。

因みにこの本番組が放送されていた時間帯は現在では原則として完全なローカルセールス枠という編成となっている。

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出演者

歴代総合司会

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討論ホスト

コメンテーター

放送終了時点

放送終了以前に降板

ナレーター

ほか
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話題となった発言

放送時間

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同局の他の討論番組

日曜日放送の他局の討論番組

ネット局

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スタッフ

脚注

関連項目

外部リンク

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