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ショーン・マネイア

サモア系アメリカ人の野球選手 (1992 - ) ウィキペディアから

ショーン・マネイア
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ショーン・アンソニー・マネイアSean Anthony Manaea, 英語発音: /ˈʃɔn ˈænθəni məˈnaɪə/; 1992年2月1日 - )は、アメリカ合衆国インディアナ州ワナター英語版出身のプロ野球選手投手)。左投右打。MLBニューヨーク・メッツ所属。愛称は"ダ・キッド"(後述)。

概要 ニューヨーク・メッツ #59, 基本情報 ...

メディアによっては「ショーン・マナエア」とも表記される。

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経歴

要約
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プロ入りとロイヤルズ傘下時代

2013年MLBドラフト1巡目追補(全体34位)でカンザスシティ・ロイヤルズから指名され、プロ入り。この年は股関節の手術のため[2]、登板はなかった。

2014年は傘下のA+級ウィルミントン・ブルーロックスでプロデビューし、25試合に先発登板して7勝8敗、防御率3.11、146奪三振の成績を残した。

2015年は故障で出遅れたが、7月にはAA級ノースウエストアーカンソー・ナチュラルズへ昇格した[3]

アスレチックス時代

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オークランド・アスレチックス時代
(2018年4月21日)

2015年7月28日にベン・ゾブリストとのトレードで、アーロン・ブルックスと共にオークランド・アスレチックスへ移籍した[4][5]。移籍後は傘下のAA級ミッドランド・ロックハウンズへ配属された[6]。この年は移籍前も合計して14試合に先発登板し、7勝1敗、防御率2.66、90奪三振の成績を残した。オフにはアリゾナ・フォールリーグに参加し、メサ・ソーラーソックスに所属した。

2016年の開幕はAAA級ナッシュビル・サウンズで迎え[7]、4月29日にメジャー初昇格を果たし、25人枠入りした[8]。同日のヒューストン・アストロズ戦で先発してメジャーデビューしたが、5回で4失点を喫した(勝敗は付かず)[9]。4試合目の登板となった5月16日のテキサス・レンジャーズ戦でMLB初勝利を挙げた[10]。この年は概して先発ローテーションに定着し、25試合に登板・うち24試合で先発として投げた。防御率3.86、7勝9敗、WHIP1.19という成績で、負け越したものの安定したピッチングを見せた[11]

2017年は29試合に先発登板。前年とは反対に12勝10敗と勝ち越したものの、防御率4.37という不安定な投球内容で味方打線の援護に助けられた部分が多かった[11]

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ノーヒットノーラン達成時
(2018年4月21日)

2018年4月21日のボストン・レッドソックス戦で同年のMLBで初となるノーヒットノーランを達成した。ア・リーグでは2015年アストロズマイク・ファイヤーズドジャース相手に達成しているが、ア・リーグ相手のノーヒッターは2015年8月12日にマリナーズ岩隈久志オリオールズ戦)以来。アスレチックスでのノーヒットノーランは、2010年5月9日にダラス・ブレーデン完全試合を達成して以来、8年ぶり12人目となった[12][13]。同年は最終的に27試合に先発登板。2年連続の2桁となる12勝(9敗)を挙げて防御率も3.59と前年より改善が見られ、完投と完封をそれぞれ1度ずつ挙げるなど安定した投球が復活した[11]。オフに左肩の手術を行った。

2019年は前年オフに受けた手術の影響で登板はわずか5試合にとどまった。それでもセプテンバー・コールアップでメジャー復帰を果たすとそこから4勝負けなし、防御率1.21、30奪三振を記録して復活を印象づけた[11]。この活躍が認められてポストシーズンのロースター入りを果たし、10月2日に行われたワイルドカードゲーム英語版に先発登板してポストシーズン初登板を果たした。しかし、2イニングを投げて被安打4、3本の本塁打を浴びるなど4失点の内容で役割を果たせず、チームもこの試合でタンパベイ・レイズに敗れて敗退した[14]

2020年新型コロナウイルスの影響で60試合制の短縮シーズンとなった。この年は11試合に先発登板。4勝3敗と勝ち越したものの、防御率は4.50と前年以前よりも悪化した[11]。また、45個の三振を奪った[11]

2021年は32試合に先発登板して2度の完投・完封を含む11勝(10敗)、防御率3.91、194奪三振を記録した[11]。2桁勝利は3年ぶりだった一方で、4年ぶりとなる2桁敗戦を記録するという屈辱も味わった[11]

パドレス時代

2022年4月3日にエイドリアン・マルティネス英語版エウリベル・アンヘルスとのトレードで、アーロン・ホリデーと共にサンディエゴ・パドレスへ移籍した[15]。同年は30試合(うち2試合は中継ぎ)に登板。この年は不安定な投手球内容で8勝9敗とルーキーイヤー以来となる負け越しで終わり、防御率も以前より悪化して4.96に終わった[11]。また、156個の三振を奪うなど奪三振能力は高かった[11]。オフの11月6日にFAとなった[16]

ジャイアンツ時代

2022年12月16日にサンフランシスコ・ジャイアンツと2年総額2500万ドルの契約を結んだ[17][18]

2023年、この年のシーズン前半は先発登板したが結果を残せず、8月からは先発ローテーションを剥奪されて中継ぎに回った[19]。この年は37試合(うち先発10試合)で7勝6敗、自身初セーブ初ホールドを含む1セーブ3ホールド、防御率4.44、128奪三振を記録した[11]。オフの11月3日に契約延長オプションを破棄して、FAとなった[20]。防御率は自身3番目に悪い数字となった一方で、奪った三振はルーキーイヤーとほぼ同水準であった[11]。また、2年ぶりに勝ち星が先行した。

メッツ時代

2024年1月12日にニューヨーク・メッツと2024年シーズン終了後にオプトアウトが可能な2年総額2800万ドルの契約を結んだ[21]。この年は32試合に先発登板して181.2イニングを投げ、12勝6敗、防御率3.47、184奪三振を記録した[22]。オフの11月4日にオプトアウトを行使してFAとなった[23]。メッツからのクオリファイング・オファーは拒否したが[24]、12月27日に3年総額7500万ドルでメッツと契約した[25]

2025年は15試合に先発登板(うち3試合は中継ぎ)。2勝4敗と3年ぶりとなる負け越しとなり、防御率もキャリアワーストとなる5.64に終わった[11]。その他75奪三振などを記録した[11]

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選手としての特徴

恵まれた体格を持ち、サイドスローに近い角度から力のある速球を投げ込む。プロ入り前にはクリス・セールと比べる声も出ていた。課題は健康維持と制球力向上[26]

人物

高校時代はマイク・ブロッソーとチームメイトだった[27]

愛称はカンザスシティ・ロイヤルズ傘下時代に元チームメイトだったケビン・マッカーシーが名付けた"ダ・キッド"であり、2017年のプレイヤーズ・ウィークエンド英語版では背ネームに使用している[28]

詳細情報

年度別投手成績

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  • 2025年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

ポストシーズン投手成績

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  • 2025年度シーズン終了時

年度別守備成績

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  • 2024年度シーズン終了時

記録

背番号

  • 55(2016年 - 2022年)
  • 52(2023年)
  • 59(2024年 - )
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脚注

関連項目

外部リンク

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