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ジム・トーミ
アメリカの野球選手 (1970 - ) ウィキペディアから
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ジェームス・ハワード・トーミ(James Howard Thome, 1970年8月27日 - )は、アメリカ合衆国イリノイ州ピオリア出身の元プロ野球選手(指名打者、一塁手、三塁手)。右投左打。
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経歴
要約
視点
クリーブランド・インディアンス時代(1991年 - 2002年)
1989年のMLBドラフトでクリーブランド・インディアンスから13巡目(全体333位)に指名されプロ入り。
1994年に初の2桁本塁打(20本)を記録して以来、2002年までインディアンスの中心打者として活躍。
1995年には自己最高となる打率.314、25本塁打を記録し、これはアメリカンリーグの三塁手でゲイリー・ガイエティの35本塁打に次ぐ2位だった[3]。チームは1954年以来51年ぶりにワールドシリーズへ進出し、計10試合のポストシーズン、トーミは打率は.213だったが、8本塁打、10打点を記録した。
1996年には38本塁打、116打点、122得点、123四球を記録し、1950年のアル・ローゼン以来球団史上2人目となる30本塁打・100打点・100得点・100四球を達成[4]。
1997年はトレードでマット・ウィリアムズが加入したため三塁手から一塁手へコンバートされた[5][6]。シーズン40本塁打を記録し、5月14日のレンジャーズ戦で通算100本塁打を達成[6]。7月8日に行われたオールスターゲームに初めて選出された。
2001年に49本塁打を記録しハル・トラスキーの持つ左打者としてのシーズン本塁打球団記録を更新し、アルバート・ベルの通算本塁打の球団記録を更新[5]また、マービン・ミラー賞を受賞している。
2002年自己最多、1995年のベルが記録した球団記録の50本塁打を更新する52本塁打を記録し[7]、6月25日から7月3日にかけてMLB記録にあと1試合に迫る7試合連続本塁打を記録した[4]。シーズン終了後の10月22日にロベルト・クレメンテ賞を受賞[4]。インディアンスは5年6000万ドル前後の規模で契約延長を打診したが拒否し[8]、10月28日にフリーエージェントとなった。
フィラデルフィア・フィリーズ時代(2003年 - 2005年)
2002年12月6日に6年総額8500万ドルでフィラデルフィア・フィリーズへ移籍[9][10]

補強の最大の目玉として[11]迎えた2003年はマイク・シュミットの球団記録の48本にあと1本に迫る47本塁打を放ち[12]、自身初の本塁打王のタイトルを獲得し、打点は自己最多の131を記録した。チームはシーズン終盤ワイルドカード争いを繰り広げ、トーミは9月にナ・リーグ月間MVPを受賞。プレーオフ進出はならなかったが、監督のラリー・ボーワはトーミを絶賛した[11]。
2004年はオールスターまでに28本塁打、61打点を記録し、5年ぶりにオールスター選出を果たした。42本塁打を記録し、通算400本塁打を達成した。2005年は右ひじの故障のため59試合出場、打率.207、7本塁打、30打点に終わり、6月30日の出場を最後にシーズンを終え、8月には右ひじの手術をした[10]。
シカゴ・ホワイトソックス時代(2006年 - 2009年)

2005年11月25日にトーミと球団には4年4600万ドルの契約が残っていたが、フィリーズはホワイトソックスに2200万ドルを支払い、アーロン・ローワンドらとのトレードでシカゴ・ホワイトソックスへ移籍した[10]。
2006年から一塁手にはポール・コネルコがいたためトーミは指名打者として起用された。同年のオールスターゲーム以降は手首の故障とハムストリングの痛みに悩まされたが[13]、打率.288、42本塁打、109打点と復活を果たし、カムバック賞を受賞した。
2007年9月16日にサヨナラ本塁打でMLB史上23人目の500本塁打を達成[14]。
6年契約には2007年に600打席以上または2007年・2008年の打席数が1100以上ならば2009年のオプションが自動的に行使される条項がある。トーミの2007年の打席数は536でオプション行使はならなかったが、2008年9月21日に2007年からの打席数が1100を上回ったため、オプションが行使され、2009年は年俸1300万ドルでプレーすることが決まった[15]。9月30日に行われたミネソタ・ツインズとのワンゲームプレーオフで、7回先頭打者のトーミはニック・ブラックバーンからソロ本塁打を放ち、試合の得点はこの本塁打の1点のみでホワイトソックスが勝利し[16]、3年ぶりの地区優勝となった。
ロサンゼルス・ドジャース時代(2009年)
2009年8月31日にジャスティン・フラーとの交換トレードでロサンゼルス・ドジャースへ移籍した[17]が、足の故障もあり、大部分が代打での出場で、打率.235、3打点、本塁打0の成績で、同年シーズン終了後は再びフリーエージェントになる。
ミネソタ・ツインズ時代(2010年 - 2011年)

2010年1月にミネソタ・ツインズと年俸150万ドル(約1億3000万円)で移籍。この契約は近年のトーミの成績を考えても破格の安さだが、打席数に応じて最大750万ドルの出来高払いがあるという。
このシーズンは休養を挟みながら108試合の出場にとどまったが、わずか276打数で25本塁打を記録する活躍でチームの地区優勝に貢献した。
2011年1月には引き続きツインズと年俸300万ドルで1年契約。前年同様打席に応じたボーナスがある。8月15日のデトロイト・タイガース戦で史上8人目の通算600本塁打を達成。
インディアンス復帰(2011年)
2011年8月25日に1対1(後日に選手または金銭)の交換トレードでインディアンスに移籍し9年ぶりに復帰。合流初戦ではチームメイト全員がトーミのトレードマークであるストッキングを上げるオールドスタイルでプレーした。その試合後、復帰記念の花火大会を行った。
フィリーズ復帰(2012年)

2012年にフィリーズに7年ぶりに復帰。6月23日に代打で出場して試合に終止符を打つ本塁打を放ち、これがMLB記録の通算13本目のサヨナラ本塁打となった[18]。このサヨナラ本塁打の記録はギネス世界記録に認定されている[19]。
オリオールズ時代(2012年)
2012年6月30日にボルチモア・オリオールズへ移籍。オフにFAになるが、このオリオールズでのプレーが現役最後となった。
引退後

クリーブランド・インディアンスの永久欠番に2018年指定。
2013年に古巣ホワイトソックスのGM補佐に就任した。
2018年1月25日、資格取得1年目でアメリカ野球殿堂入りを果たす[20]。また、殿堂入りを記念し、古巣インディアンスはトーミの在籍時の背番号「25」を永久欠番に指定、2018年8月18日に欠番表彰式が行われた[21]。なお、トーミの欠番指定翌年の2019年にインディアンスの永久欠番指定選手だったフランク・ロビンソンが死去したため、現在インディアンスの永久欠番指定選手で存命するのはトーミが唯一である。
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選手としての特徴・人物
打撃では昔ながらのクラシックなパワーヒッターとしての球のとらえ方を持ち味とする[22]。打席から一塁到達までのスピードは4.7秒と平均を大きく下回るが、強靭な脚力を生かしてバランスを保ち、バリー・ボンズやジェイソン・ジアンビと比べてテクニックよりも純粋なパワーをもってして極端なアッパースイングから打球を飛ばし、インパクトの瞬間は独特の音を発する[22]。ジェイコブス・フィールドで511フィート(約156メートル)の飛距離を記録したこともある[23]パワーは40歳を超えてなお健在で、2010年には本塁打の出にくいターゲット・フィールドを本拠地としながら25本中15本塁打をホームで放ち、MLB屈指の飛距離を維持している[24]。
野球殿堂入りを果たした2018年1月の時点で、通算の本塁打及び四球の両方で歴代で10位以内に入る選手は、ベーブ・ルース、ボンズ、そしてトーミの3人のみである[25]。
特にインディアンズ時代にこれだけ四球を記録した背景には、当時出塁重視のチームバッティングを徹底するよう指導されていたというのもある。一方、四球重視の打撃スタイルから見逃しの三振も非常に多く、現役時代にはシーズン最多三振を3回記録している。
薬物疑惑とも無縁(そのような疑惑に名前が上がったことがない)であるため、現役時代から将来の殿堂入りが確実視されている数少ない選手の一人であった。 2013年1月5日にはCBSスポーツ電子版が「現役選手で殿堂入りが確実な5人」を特集し、デレク・ジーター、イチロー、アルバート・プホルス、マリアノ・リベラの4人とともにトーミの名前が挙げられ、[26][27]そして2018年1月25日、殿堂入りを実際に(資格取得1年目で)果たしたのだった。
2018年にアメリカ野球殿堂入りを果たした際には「(インディアンス時代の)マニエル監督がいなかったら、自分はここにいなかった」「多くの三振を喫したけど、出塁率への高い意識はあった」と述べている[28]。
人柄がよいことで知られ、ニューズデイの「強打者で、しかも最高のチームメートはだれか?」というアンケートでは、最もトーミが支持された[29]。また、現役時代のうち13シーズンを過ごしたインディアンスの本拠地であるプログレッシブ・フィールドには、打席でテークバックに入る前に投手に向けてバットを突き出す仕草をする姿のトーミの銅像が設置されている[30]。
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詳細情報
年度別打撃成績
- 各年度の太字はリーグ最高
年度別守備成績
タイトル
- MLB
- 本塁打王:1回(2003年)
表彰
- MiLB
- インターナショナルリーグMVP:1回(1993年)
- MLB
- シルバースラッガー賞(三塁手部門):1回(1996年)
- ロベルト・クレメンテ賞:1回(2002年)
- ルー・ゲーリッグ賞:1回(2004年)
- プレイヤーズ・チョイス・アワーズ
- マービン・ミラー・マン・オブ・ザ・イヤー:2回(2001年、2004年)
- プレイヤー・オブ・ザ・マンス:3回(2001年7月、2003年9月、2004年6月)
- カムバック賞:1回(2006年)
記録
- MLB
- MLBオールスターゲーム選出:5回(1997年 - 1999年、2004年、2006年)
- 通算三振数:2548(歴代2位)
背番号
- 59(1991年 - 同年途中)
- 6(1991年途中 - 同年終了)
- 25(1992年 - 2012年)※クリーブランド・ガーディアンズの永久欠番
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脚注
関連項目
外部リンク
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