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ジム・ライトル
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ジム・ライトル(英語: Jim Lyttle, 本名:ジェームズ・ローレンス・ライトル・ジュニア(James Lawrence Lyttle Jr., 1946年5月20日 - )は、アメリカ合衆国オハイオ州ハミルトン出身の元プロ野球選手(外野手)。
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経歴
1966年のMLBドラフト1巡目(全体10位)でニューヨーク・ヤンキースに指名され、契約した。
1969年5月17日にメジャーデビューを果たした。その後はシカゴ・ホワイトソックス、モントリオール・エクスポズ、ロサンゼルス・ドジャースと渡り歩く。
1977年に広島東洋カープに入団した。NPB1年目から活躍を見せ、衣笠祥雄や山本浩二らとクリーンナップを形成し、1979年から1980年の日本シリーズ連覇に貢献した。1980年の日本シリーズではMVPを獲得した。攻守共にバランスが良く、勝負強い打撃、守備では強肩を発揮して広島の黄金時代を支えた[1]。1978年から4年連続でダイヤモンドグラブ賞を受賞し、山本浩二らと共に強固な外野守備陣を構成した。1981年には最多安打を獲得している。広島での通算155本塁打は球団外国人選手では最多であり、在籍年数6年もエルドレッドに次ぐ2番目の記録である。なお広島時代、同じ年に広島に入団したエイドリアン・ギャレットと自分の名前とを合わせて「ギャートルズ」と呼ばれていた。この呼び名を付けたのは当時の広島のチームメイトであった衣笠祥雄である[2]。
1983年に南海ホークスに移籍し、同年のオールスターゲーム第2戦(西宮)ではラジオたんぱの英語中継に解説者として出演[3]。
引退後は帰国し、農場経営を務める傍ら、フロリダ・アトランティック大学でコーチを務めた[4]。
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詳細情報
年度別打撃成績
- 各年度の太字はリーグ最高。
タイトル
- NPB
- 最多安打:1回(1981年) ※当時連盟表彰なし、1994年より表彰
表彰
- NPB
- ベストナイン:1回(1981年)
- ダイヤモンドグラブ賞:4回(1978年 - 1981年)
- 日本シリーズMVP:1回(1980年)
記録
背番号
- 21(1969年)
- 27(1970年 - 1971年)
- 26(1972年)
- 2(1973年 - 1974年)
- 20(1975年 - 1976年途中)
- 41(1976年途中 - 同年終了)
- 6(1977年 - 1982年)
- 4(1983年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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