トップQs
タイムライン
チャット
視点

ジム・ライトル

ウィキペディアから

ジム・ライトル
Remove ads

ジム・ライトル英語: Jim Lyttle, 本名:ジェームズ・ローレンス・ライトル・ジュニアJames Lawrence Lyttle Jr., 1946年5月20日 - )は、アメリカ合衆国オハイオ州ハミルトン出身の元プロ野球選手外野手)。

概要 基本情報, 国籍 ...
Remove ads

経歴

1966年MLBドラフト1巡目(全体10位)でニューヨーク・ヤンキースに指名され、契約した。

1969年5月17日にメジャーデビューを果たした。その後はシカゴ・ホワイトソックスモントリオール・エクスポズロサンゼルス・ドジャースと渡り歩く。

1977年広島東洋カープに入団した。NPB1年目から活躍を見せ、衣笠祥雄山本浩二らとクリーンナップを形成し、1979年から1980年の日本シリーズ連覇に貢献した。1980年の日本シリーズではMVPを獲得した。攻守共にバランスが良く、勝負強い打撃、守備では強肩を発揮して広島の黄金時代を支えた[1]1978年から4年連続でダイヤモンドグラブ賞を受賞し、山本浩二らと共に強固な外野守備陣を構成した。1981年には最多安打を獲得している。広島での通算155本塁打は球団外国人選手では最多であり、在籍年数6年もエルドレッドに次ぐ2番目の記録である。なお広島時代、同じ年に広島に入団したエイドリアン・ギャレットと自分の名前とを合わせて「ギャートルズ」と呼ばれていた。この呼び名を付けたのは当時の広島のチームメイトであった衣笠祥雄である[2]

1983年南海ホークスに移籍し、同年のオールスターゲーム第2戦(西宮)ではラジオたんぱの英語中継に解説者として出演[3]

引退後は帰国し、農場経営を務める傍ら、フロリダ・アトランティック大学でコーチを務めた[4]

Remove ads

詳細情報

年度別打撃成績

さらに見る 年 度, 球 団 ...
  • 各年度の太字はリーグ最高。

タイトル

NPB
  • 最多安打:1回(1981年) ※当時連盟表彰なし、1994年より表彰

表彰

NPB

記録

NPB初記録
NPB節目の記録
NPBその他の記録

背番号

  • 21(1969年)
  • 27(1970年 - 1971年)
  • 26(1972年)
  • 2(1973年 - 1974年)
  • 20(1975年 - 1976年途中)
  • 41(1976年途中 - 同年終了)
  • 6(1977年 - 1982年)
  • 4(1983年)
Remove ads

脚注

関連項目

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads