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ジョニー・ペラルタ
ドミニカ共和国の野球選手 (1982 - ) ウィキペディアから
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ジョニー・アントニオ・ペラルタ(Jhonny Antonio Peralta, 1982年5月28日 - )は、ドミニカ共和国・サンティアゴ州サンティアゴ・デ・ロス・カバリェロス出身の元プロ野球選手(遊撃手、三塁手)。右投右打。
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経歴
要約
視点
プロ入りとインディアンス時代

(2009年8月30日)
1999年、ドラフト外でクリーブランド・インディアンスに入団。
2003年に、同球団でメジャーデビューを果たした。デビューイヤーと、翌年の2004年は結果を残せなかった。
2005年に、サンフランシスコ・ジャイアンツへ移籍したショートの前任者オマー・ビスケルの後を受けてレギュラーに抜擢。3割近い打率を残し、インディアンスの遊撃手として史上最多となる24本塁打を放つなど、よもやの大活躍を見せた。そして、同年オフに5年1300万ドルの長期契約を結んだ。
2006年は2年目のジンクスに行く手を阻まれ、やや低レベルな成績に終わった。
2007年は昨シーズンの不調から立ち直り、自己最多の152試合に出場し、2年ぶりの20本塁打以上となる21本塁打をマーク。
2008年も、前年に引き続いて調子を維持。自身2番目に多い23本塁打を放ち、2年連続で20本以上のホームランを記録した。また、打点では自己ベストを更新する89打点を記録。その他、得点、安打、二塁打、三塁打、など、多くの部門で自身最高の数字を記録。126三振もレギュラー定着後では最小の数字である。一方で、自己ワーストの併殺打数を記録した。
2009年は、一転して不振に陥る。打点こそ、2連続で80打点以上を記録したが、本塁打数は前年と比較して、半減以下の数字となった。打率.254も自己最低で、得点もレギュラー定着後では最小にとどまった。
2010年、開幕からインディアンスでプレイし、91試合に出場したが、打率は.250さえ超えなかった。
タイガース時代

(2011年4月6日)
2010年7月28日にジョバンニ・ソト + 金銭とのトレードで、デトロイト・タイガースへ移籍した。タイガースではやや持ち直し、57試合に出場しインディアンスで放った本数以上のホームラン(8本塁打)を放った。しかし、シーズントータルでの打率は.250に僅かに及ばなかった。打点は3年連続で80打点を超え、シーズントータルで15本塁打を放った事で、通算100本塁打を達成した。オフの11月2日にFAとなったが、8日に総額1125万ドルの2年契約を結んだ[1]。
2012年オフにタイガースが球団オプションを行使し、1年600万ドルで契約を延長した[2]。
2013年は、オールスターに選出されたものの、バイオジェネシス・スキャンダルによって禁止薬物購入が発覚し、同年8月5日に50試合の出場停止処分を受けた[3]。オフにFAとなった。
カージナルス時代
2013年11月24日にセントルイス・カージナルスと総額5300万ドルの4年契約を結んだ[4]。
2014年、メジャーデビュー以来自己最多となる157試合に出場し、いずれもチーム最多となる二塁打38本・本塁打21本を放ち、長打を量産した。二塁打が3年連続で30本以上となり、ホームランは3年ぶりに20本を超えた。守備面では12失策をマークしたが、DRSは自己最高記録の +17となり、こちらでもチームに貢献した。大型パッケージ移籍初年度としては、まずまず期待に応えた。
2015年は155試合に出場した。バッティング面では打率.275・17本塁打・71打点という成績を残し、打率は前年より上昇して本塁打は11年連続2ケタを超えた。守備では、148試合で守って8失策まで減らしたが、DRSは大幅に悪化して -7だった。それでも、前述の打撃成績に加えて自身3度目となるオールスターにも選出されるなど、打てる遊撃手として2年連続で大型契約に見合う活躍を見せた。
2016年はスプリングトレーニング中のオープン戦の3月7日のニューヨーク・メッツ戦で左の親指を負傷し、長期離脱した[5]。離脱している間にルーキーのアレドミス・ディアスが遊撃手のレギュラーの座を固めた為、復帰後は三塁手に入った。82試合の出場で打率.260・8本塁打・29打点・OPS0.715という成績を記録した。久々にロングタイムで守った三塁守備は、67試合で4失策・守備率.976・DRS -7・UZR -8.8と精彩を欠いた。
レッドソックス傘下時代
2017年6月23日にボストン・レッドソックスとマイナー契約を結んだ[10]。同年7月13日に自由契約となった[11]。
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プレースタイル
インディアンス時代の監督だったエリック・ウェッジらは、「彼ほど守備で安定感のある選手はいない」と高い評価を与えている[要出典]。遊撃手以外には、2003年に6試合、2004年に2試合、三塁手での出場経験がある。
詳細情報
年度別打撃成績
年度別守備成績
- 各年度の太字はリーグ最高
獲得タイトル・表彰・記録
- MiLB
- インターナショナルリーグMVP(2004年)
- MLB
- MLBオールスターゲーム選出:3回(2011年、2013年、2015年)
脚注
関連項目
外部リンク
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