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チェイス・ダーノー
アメリカの野球選手 (1987 - ) ウィキペディアから
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チェイス・ジョナサン・ダーノー(Chase Jonathan d'Arnaud, 1987年1月21日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス郡トーランス出身の元プロ野球選手(ユーティリティープレイヤー)。右投右打。
姓のd'Arnaudはフランスに多く見られる。英語ではダルノー(dar-NO)と発音する[1]のがより近く、フランス語ではダーノウのが近い。弟のトラビス・ダーノーもメジャーリーガー(捕手)である[2]。
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経歴
要約
視点
プロ入りとパイレーツ時代
ロサンゼルスのスポーツ強豪校であるロス・アラミトス高等学校時代の2005年にMLBドラフト44巡目(全体1330位)でロサンゼルス・ドジャースから指名を受けるが、契約せずにペパーダイン大学へ進学した。大学時代はエリック・テイムズとチームメイトだった。3年後の2008年のMLBドラフト4巡目(全体114位)でピッツバーグ・パイレーツから指名され、プロ入り[3]。
2011年6月24日のボストン・レッドソックス戦でメジャーデビューし、5回にジョン・レスターからメジャー初安打となる三塁打を放った。メジャー初安打が三塁打だった選手は、1998年4月30日のチャンス・サンフォード以来13年ぶり[4]。
2013年3月2日]、左親指の靭帯再建手術を受けたため、60日間の故障者リストに入った[5]。5月16日にA+級ブレイデントン・マローダーズでリハビリを開始した[6]。同月18日にAA級アルトゥーナ・カーブに、25日にはAAA級インディアナポリス・インディアンスに移動しリハビリを続けた。同月31日に故障者リストから復帰し、以降はAAA級インディアナポリスでプレーした[7]。
2014年2月24日にブレント・モレルの加入に伴ってDFAとなり、3月1日にマイナー契約でAAA級インディアナポリスへ降格した。その後、9月にセプテンバーコールアップで2年ぶりにメジャー昇格した。オフにFAとなった[7]。
フィリーズ時代
2014年11月13日にフィラデルフィア・フィリーズとマイナー契約を結んだ[8]。
2015年は傘下のAAA級リーハイバレー・アイアンピッグスでプレーし、インターナショナルリーグの全日程終了後の9月14日にメジャー契約を結んだ。メジャーでは11試合に出場し、打率は.176ながら三塁打を1本放った。守備に就いたのは遊撃手で3試合と三塁手で1試合で、いずれも無失策でこなした。10月9日にFAとなった[7]。
ブレーブス時代

2015年11月24日にアトランタ・ブレーブスとマイナー契約を結び、2016年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[9]。
2016年の開幕は傘下のAAA級グウィネット・ブレーブスで迎えたが、5月2日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした。この年は内外野のユーティリティとして出番を大幅に増やし、84試合に出場。バッティング面では打率.245、1本塁打、21打点、9盗塁という成績を残した。ディフェンス面では、遊撃手で出場した21試合が最多で、1失策・守備率.983・DRS -2・UZR -0.3と、やや平均以下の守備だった。次いで19試合で三塁手で無失策・DRS0・UZR +1.5と、遊撃よりも安定した守備を見せた。10試合で守りに就いた二塁手では、1失策・守備率.976・DRS -1・UZR -0.9を記録した。外野3ポジションでは、計88.0イニングで無失策・DRS0・UZR -0.2と、ほぼ平均レベルだった。
レッドソックス時代
2017年4月27日にウェイバー公示を経てボストン・レッドソックスへ移籍した[10]が、5月18日にヘクター・ベラスケスのメジャー昇格に伴い、DFAとなった[7][11]。
パドレス時代
2017年5月22日にウェイバー公示を経てサンディエゴ・パドレスへ移籍した[12]。パドレスでは22試合に出場し、49打数7安打、打率.143[13]と不調で、7月4日にトレバー・ケーヒルの故障者リストからの復帰に伴ってDFAとなり[14]、7日にマイナー契約で傘下のAAA級エル・パソ・チワワズへ配属された。10月3日にFAとなった[7]。
ジャイアンツ時代
2018年1月4日にサンフランシスコ・ジャイアンツとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[15]。開幕は傘下のAAA級サクラメント・リバーキャッツで迎え、7月7日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[16]。レギュラーシーズン終了後の10月22日に40人枠外となってAAA級サクラメントへ配属された後、24日にFAとなった[7]。
レンジャーズ傘下時代
2018年12月17日にテキサス・レンジャーズとマイナー契約を結び、2019年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[17]。
2019年は開幕から傘下のAAA級ナッシュビル・サウンズでプレーしていたが、6月17日に自由契約となった[7]。
ロイヤルズ傘下時代
2019年6月21日にカンザスシティ・ロイヤルズとマイナー契約を結び、傘下のAAA級オマハ・ストームチェイサーズへ配属された[7]。シーズン終了後の11月4日にFAとなった[7]。この年限りで現役を引退した。
現役引退後
2020年3月に第5回WBC予選のフィリピン代表メンバーに選出されたが[7][18]、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で予選の開催は無期延期となった。
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人物
自身の名前を冠したロックバンドを率いており、CDデビューも果たしている(担当はボーカルとリズムギター)[19][20]。
詳細情報
年度別打撃成績
年度別投手成績
年度別守備成績
記録
- MiLB
- オールスター・フューチャーズゲーム選出:1回(2011年)
背番号
- 12(2011年、2017年5月 - 同年終了)
- 3(2012年)
- 39(2014年)
- 2(2015年、2018年)
- 23(2016年 - 2017年4月)
- 11(2017年4月 - 同年5月)
脚注
関連項目
外部リンク
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