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ディッキー・ソン
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リチャード・ウィリアム・"ディッキー"・ソン(Richard William "Dickie" Thon、1958年6月20日 - )は、アメリカ合衆国インディアナ州セントジョセフ郡サウスベンド出身の元プロ野球選手(遊撃手)。
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経歴
プロ入り前
父親がノートルダム大学で学士を取得するためアメリカ合衆国のインディアナ州セントジョセフ郡サウスベンドで生まれたが、生後2週間でプエルトリコへ帰国した。
プロ入り後
1975年11月23日にカリフォルニア・エンゼルスと契約を結びプロ入りを果たす。
1979年5月22日にメジャーデビューを果たす。
1983年には打率.286・20本塁打・79打点・34盗塁という好成績を残し、MLBオールスターゲームに選出され[2]、シルバースラッガー賞も受賞した。
1984年4月8日、このシーズン5試合目の試合中に左目付近に死球を受けて眼窩を骨折し、残りの試合を欠場した[2]。翌1985年に復帰するが視力面の後遺症に悩まされることになる[2]。打撃スタイルを変えるなどしてある程度克服したが、引退するまで1983年に見せたような打撃成績を残すことはできなかった[2]。1991年に逆境や難病を克服した選手に贈られるトニー・コニグリアロ賞を受賞した[3]。
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選手としての特徴
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家族
祖父はフレディーソ・ソン・シニアで第二次世界大戦中にプエルトリコの野球リーグを経営しながらプレーした。
父親のフレディー・ソン・ジュニアはマイナー契約を結んだ過去があるが、腕を負傷している。
兄弟のフランク・ソンはマイナーリーグでプレーした後、クリオーヨス・デ・カグアスのゼネラル・マネージャーを勤める。
息子のディッキー・ジョー・ソンも元プロ野球選手である。
詳細情報
年度別打撃成績
- 各年度の太字はリーグ最高
表彰
- シルバースラッガー賞:1回(1983年)
- トニー・コニグリアロ賞:1回(1991年)
記録
背番号
- 31 (1979年 - 1980年)
- 10 (1981年 - 1987年)
- 21 (1988年 - 1991年)
- 10 (1992年 - 同年終了)
- 8 (1993年 - 同年終了)
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脚注
関連項目
外部リンク
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