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トゥナンテ
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トゥナンテ(欧字名:Tunante、1995年5月3日 - 2015年4月30日)は、日本の競走馬、種牡馬[1]。主な勝ち鞍に2000年の毎日王冠、愛知杯、北九州記念。
![]() | この記事は「旧馬齢表記」が採用されており、国際的な表記法や2001年以降の日本国内の表記とは異なっています。 |
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競走馬時代
- 特記事項なき場合、本節の出典はJBISサーチ[3]
大型馬ゆえに仕上がりが遅れ[4]、1998年9月5日、京都競馬場での未勝利戦でデビューし、15着。阪神競馬場を経て福島競馬場に転戦し、4戦目の未勝利戦で初勝利を挙げる[4]。京都での条件戦は2戦とも6着以下に終わるも、中京競馬場での500万下平場、900万下特別矢作特別、年明けて京都での1600万下特別石清水ステークスを3連勝[4]。東上して中山競馬場の東風ステークス4着ののち、初の重賞挑戦となった小倉大賞典でスエヒロコマンダーの2着。続く4戦は3着以内にも入らない競馬が続いたが、年末の六甲ステークスでオープン初勝利。2000年を迎え、小倉大賞典と産経大阪杯は7着、8着と振るわなかったものの、新潟大賞典3着を経て出走の愛知杯で重賞初勝利を挙げる。北九州記念でロサード以下を押さえて重賞2連勝を達成ののち、毎日王冠ではアドマイヤカイザーを下して重賞3連勝[4]。天皇賞(秋)は5番人気で迎え、テイエムオペラオーの3着。その後はレースに出走することなく[4]2003年に引退となり、当初はノーザンホースパークで乗馬に転身したが、後日レックススタッドで種牡馬となった。
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競走成績
要約
視点
以下の内容は、JBISサーチ[3]およびnetkeiba.com[5]に基づく。
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種牡馬時代
2003年より種牡馬となり38頭に種付けを行い、翌2004年にそのうち21頭が誕生[6]。6年間の供用で血統登録頭数26頭、出走頭数は23頭を記録[6]。2008年にはウィナーズディアが福山競馬場で行われたキングカップで勝利し、重賞タイトルをもたらした[7]。2013年11月にレックススタッドを退厩し、その後は鹿児島県のNPO法人ホーストラストで功労馬として余生を送り[8]、2015年4月30日に死亡した[2]。
血統表
トゥナンテの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | テスコボーイ系 |
[§ 2] | ||
父 サクラユタカオー 1982 栗毛 北海道静内町 |
父の父 *テスコボーイTesco Boy 1963 黒鹿毛 イギリス |
Princely Gift | Nasrullah | |
Blue Gem | ||||
Suncourt | Hyperion | |||
Inquisition | ||||
父の母 アンジェリカ 1970黒鹿毛 北海道静内町 |
*ネヴァービート Never Beat |
Never Say Die | ||
Bride Elect | ||||
スターハイネス | *ユアハイネス | |||
スターロツチ | ||||
母 ダイナサルーン 1981 栃栗毛 千葉県 |
*ノーザンテースト Northern Taste 1971 栗毛 カナダ |
Northern Dancer | Nearctic | |
Natalma | ||||
Lady Victoria | Victoria Park | |||
Lady Angela | ||||
母の母 シャダイクリアー 1972栗毛 北海道白老町 |
*ガーサント Guersant |
Bubbles | ||
Montagnana | ||||
ペルルピーチ | *ライジングフレーム | |||
隆勝 | ||||
母系(F-No.) | クヰツクランチ(USA)系(FN:4-r) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | Hyperion 4×5=9.38%、Nearco 5×5=6.25%、Nasrullah 4×5=9.38%、Lady Angela 5×4=9.38% | [§ 4] | ||
出典 |
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脚注
外部リンク
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