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ハロルド・ベインズ

アメリカの野球選手 (1959 - ) ウィキペディアから

ハロルド・ベインズ
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ハロルド・ダグラス・ベインズHarold Douglas Baines, 1959年3月15日 - )は、アメリカ合衆国メリーランド州イーストン出身の元プロ野球選手右翼手及び指名打者)。左投左打。

概要 基本情報, 国籍 ...

ニックネームは「静かな男」。

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経歴

要約
視点

少年時代からMLB入団まで

ベインズは1959年3月15日にメリーランド州イーストンに生まれる。その後地元で育ち、セントミカエル高校在学時には打率.532の記録をたたき出し、全米高校野球で注目された。

高校を卒業する1977年ドラフト会議で、シカゴ・ホワイトソックスから全体1位で指名され入団。当時ホワイトソックスのオーナーだったビル・ベックは、12歳当時のベインズがリトルリーグでプレイしているのを見て、少年時代より注目していたという。

シカゴ・ホワイトソックス時代(1980年 - 1989年)

1980年4月10日の開幕戦にてメジャーデビューを果たし、弱冠20歳ですぐにレギュラーに定着。

1982年には161試合に出場して打率.271、25本塁打、105打点を記録。

1983年は打率.280、20本塁打、99打点でチームの地区優勝に貢献。1984年には自己最多の29本塁打を記録。長打率.541はア・リーグ1位であった。

1984年5月8日のコミスキー・パークで行われた対ミルウォーキー・ブルワーズ戦は延長戦に入り、午前1時を過ぎたところでアメリカンリーグの規定により、サスペンデッドゲームとなった。翌9日に正規の試合前に続行試合が行われ、8時間6分に及ぶMLB史上最長時間試合となったが、延長25回裏にチャック・ポーターから中堅方向へサヨナラ本塁打を放つ[1]。この時のバットはアメリカ野球殿堂入りしている。

1985年は打率.309、22本塁打、113打点(自己最高)で初のオールスター出場を果たす。

1986年頃よりの故障に悩まされ、1987年以後はほぼ指名打者での起用が中心となる。 すでにこの時点で、オーナーのジェリー・ラインズドルフがベインズの背番号3』を永久欠番に指定することを確約しており、1989年シーズン途中に2対3の交換トレードでベインズはテキサス・レンジャーズへ移籍する[2]が、この移籍退団をもってベインズの背番号『3』を永久欠番に指定している。

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ベインズのホワイトソックス在籍時の背番号「3」。
シカゴ・ホワイトソックスの永久欠番1989年指定。

3球団所属時代(1989年 - 1995年)

レンジャーズに移籍後、今度は1990年のシーズン途中に2選手との交換でオークランド・アスレチックスにいわゆるフラッグ・トレードで移籍。この年アスレチックスはリーグ優勝を果たしており、自身初のワールドシリーズ出場を果たすが、相手となったシンシナティ・レッズに1勝もできず4連敗で敗退してしまった。

1991年は、打率.295、20本塁打、90打点の活躍で4年ぶりにオールスターに出場し、1992年は、アスレチックスの地区優勝に貢献。

1993年にマイナー2投手との交換で地元のボルチモア・オリオールズに移籍し、同年は打率.313、翌1994年は.294、1995年は.299を記録した。

ホワイトソックス復帰(1996年)

1996年には古巣ホワイトソックスにフリーエージェント(FA)で復帰。再び永久欠番『3』をつけてプレーする。同年は、打率.313、22本塁打、95打点の好成績だった。

オリオールズ・インディアンス所属時代(1997年 - 2000年)

1997年シーズン中に再びフラッグ・トレードでオリオールズに移籍し、チームのプレイオフ進出に貢献。

1999年には8年ぶりのオールスター出場を果たすが、この後でクリーブランド・インディアンスに移籍。背番号は『33』をつけたが、この年は40歳にして打率.312(規定打席不足)、25本塁打、103打点を記録した。

2000年は、オリオールズにまた復帰して開幕を迎えるが、同年7月20日に古巣・ホワイトソックスに復帰する。

2度目のホワイトソックス復帰・引退まで(2000年 - 2001年)

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最終シーズン、インタビューを受けるベインズ(2001年)

古巣シカゴ・ホワイトソックスに2度目の復帰を果たした、翌2001年は24試合出場し、現役を引退した。

引退後

引退後、2004年3月にホワイトソックスのベンチコーチ(日本のプロ野球でいうヘッドコーチに相当)に就任。2015年までコーチとしてチームを支えた。

2005年には、現役時代に果たせなかったワールドチャンピオンを、コーチとして成し遂げた。

2016年、ホワイトソックスのスペシャルアドバイザーに転身。

2019年ベテランズ委員会の選出でアメリカ野球殿堂入りを果たした[3]

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選手としての特徴

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現役時代のベインズ。一本足打法で打っている。(1986年)

指名打者としての出場試合1652はMLB記録である。通算384本塁打を打ち、シーズン30本塁打を打ったことのない選手の中では歴代2位である。また、指名打者においての通算本塁打236本も、2004年エドガー・マルティネスに更新されるまで歴代1位である。通算1628打点はMLB歴代30位。勝負強さが持ち味で、通算満塁本塁打13本の記録もある。

また、前述の通り「静かな男」のニックネームで、当時もっとも無口なメジャーリーガーと言われていたという。球場には誰よりも一番先に着いて黙々と練習に励み、人望が厚かった。ベインズは「よく、昔の名選手の誰かが僕に似ていると言うけど、僕としてはそんな風に比較されるのは好きじゃない。僕はハロルド・ベインズなんだ。ファンが球場に足を運んで見てみたいと思う選手になりたいだけだ」と述べている。

ベインズは2007年にアメリカ野球殿堂入りの候補者資格を得たが、初年度の殿堂入り投票では29票(得票率5.3%)しか得られなかった。2008年度以降の投票でも殿堂入りに必要な得票率75%には届かず、むしろ足切りラインの得票率5%(これを下回ると候補者資格を失い、次年度以降の候補者リストから外される)を辛うじて上回る程度であった。2011年の投票で得票率が4.8%(得票数28票)と5%を下回り、殿堂入りの資格を失ったが、前述の通り2019年ベテランズ委員会選考により、リー・スミスとともに殿堂入りを果たした。

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詳細情報

年度別打撃成績

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表彰

記録

背番号

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脚注

関連項目

外部リンク

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