トップQs
タイムライン
チャット
視点
ホセ・クルーズ
ウィキペディアから
Remove ads
ホセ・クルーズ・ディーラン(José Cruz Dilan, 1947年8月8日 - )は、プエルトリコ・アローヨ出身の元プロ野球選手(外野手)。左投左打。愛称は"チェオ"("Cheo")で、多くのファンからは「チェオ・クルーズ」と呼ばれ、親しまれた。
1980年、1981年、1986年は選手として、1997年 - 1999年、2001年、2004年、2005年はコーチとして、アストロズが進出したすべてのプレーオフに寄与。
ホセ・クルーズ・ジュニア(1974年生)と、エンリケ・クルーズ(1981年生)は息子。1980年代に日本ハムでプレイしたトミー・クルーズ(1951年生)と巨人でプレイしたヘクター・クルーズ(1953年生)はいずれも弟。
Remove ads
経歴
1966年にセントルイス・カージナルスに入団し、1970年9月19日にメジャーデビュー。トミー、ヘクターとは1973年にカージナルスに3人で在籍。ただしトミーは3試合の出場(打席機会なし、守備は1試合のみ)で、ヘクターは11試合の出場(安打0、守備は5試合)で、三兄弟同時出場はなかった。

1975年にヒューストン・アストロズに移籍し、13シーズンにわたって主力打者として活躍。移籍2年目の1976年に打率.303、28盗塁を記録。以後、打率3割を6回、30盗塁以上を5回記録。当時の本拠地アストロドームが広いこともあって本塁打はシーズン最多でも17本であったが、好打者として活躍し、1980年と1985年にはオールスターに出場。1983年と1984年にはシルバースラッガー賞を受賞。
チームが地区優勝した1986年頃から年齢的な衰えが目立ち、1987年に打率.241に終わると、その年限りでニューヨーク・ヤンキースに移籍。1シーズンプレイし、1988年限りで現役を引退した。
ヒューストン・アストロズの永久欠番に1992年指定。
引退後、1992年に、クルーズのアストロズ在籍時の背番号『25』が永久欠番に指定されるが、同じく欠番指定となったマイク・スコットと共にアストロズの存命選手として初の欠番指定だった。
その後マイナーリーグやプエルトリコ・ウィンターリーグの監督を経て、1997年より2009年まで古巣アストロズでコーチを務めた。2003年にはテキサス州の野球殿堂入りを果たした。2006年に行われた第1回ワールド・ベースボール・クラシックでは祖国プエルトリコ代表のコーチを務めた。また、ジュニアが代表チームに選出されたため、親子で同じユニフォームに袖を通した。
三塁打80とサヨナラ本塁打6本は現在でもアストロズの球団記録(2022年終了時点)。アストロズ時代の1870試合出場も長らく球団記録であったが、2001年に自身が指導した後輩クレイグ・ビジオによって更新された。
Remove ads
詳細情報
年度別打撃成績
- 各年度の太字はリーグ最高
表彰
- シルバースラッガー賞(外野手部門):2回(1983年、1984年)
- プレイヤー・オブ・ザ・マンス:1回(1984年7月)
記録
- MLBオールスターゲーム選出:2回(1980年、1985年)
背番号
- 38(1970年 - 1974年)
- 25(1975年 - 1987年)
- 21(1988年)
Remove ads
関連項目
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads