トップQs
タイムライン
チャット
視点

ミニ独立国

日本国内におけるプロジェクト ウィキペディアから

Remove ads

ミニ独立国(ミニどくりつこく)は、日本国内において地域振興や自然保護運動の手段として一定の地域にて「建国」を標榜する活動、およびその成果である「国家」の総称。

概要

要約
視点

地域や地区を活性化させる目的のもと賛同者が集まり、国家経営を基準にして地域づくりを国づくりに置き換える形で、地域づくりに取り組むまちづくり団体が主となっており[1]、観光客の増加など地域の振興を目的とした宣伝の一環として架空の国家を建国する形態が多い。

政治的・思想的な主張からの独立運動民族自決とは違い、現実に日本国からの分離独立を主張しているわけではないため、国際機関によって承認されることはなく、主催者も正式な国家の設立を目的としてはいない。個人や少人数で独立を宣言するミクロネーションと関連付けられることもあるが、思想や信念ではなく観光客の増加など宣伝を目的にしていることが違いとされる。このため住民グループや商工会観光協会などが主体となって運営していることが多いが、町や村など地方自治体レベルで行っていることもある[2]

自治体の住民を『国民』、首長市町村長)を『国家元首』としている国が多いが、観光大使広報大使を国家元首に任命する国もある。

1972年に長崎県西海町で建国された「自然の国」や[1]1977年8月に「独立宣言」をした新邪馬台国大分県宇佐市)がミニ独立国の先駆けとされている[3]

東北地方の小さな村が突如日本から独立するという1981年に刊行された井上ひさしの小説『吉里吉里人』がヒットしたことをきっかけに、1982年に小説の舞台と同名の吉里吉里という地区を抱える岩手県大槌町が、町おこしの一環として「吉里吉里国」として独立宣言したことがが話題となったことをきっかけとして1980年代には各地でミニ独立国の建国が相次ぐミニ独立国ブームが起こり最盛期の1986年にはミニ独立国オリンピックが銀杏連邦東京都八王子市)で開かれるといった盛り上がりを見せ、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世を訪問したアルコール共和国(新潟県真野町)やアイスランドと相互に友好訪問団を派遣する等の友好関係を構築した流氷あいすらんど共和国(北海道紋別市)といった独自の国際交流を図った独立国も存在した[4][5]。その後1988年からはふるさと創生事業の影響を受けて第二次ブームが起こり[2]、1990年時点では203カ国が存在していた[1]。しかし、乱立によりインパクトが無くなったこと、後発国の無計画性などで飽きられ、ブームは沈静化した。

1990年代から財政難や運営主体となっていた自治体の合併、NPO法人の増加やメンバーの高齢化などさまざまな理由で減少し、2010年代まで活動を続けるミニ独立国は少なく[6]、2020年時点ではブーム後の1990年代以降に建国されたものを含め40カ国の活動が確認されている[1]。また自治体や観光協会といった公的団体の主導で建国された国家が後に住民グループ等民間側に移管されるケースや、国名を冠した地域支援NPOの発足、国家活動を休止しつつ国家の理念を引き継いだ活動を自治体の取り組みとして行うといったケースも確認されている[1]

地域の振興の枠組みを超えたシビアな議論を含む独立論については、都道府県独立国家論の項を参照。

Remove ads

ミニ独立国国際連合

ミニ独立国国際連合(ミニどくりつこくこくさいれんごう)は、ミニ独立国同士の交流を目的に発足。年1回、ミニ独立国サミットと称する国連総会を開催している。吉里吉里国とサミットを開催した国が常任理事国となっている[7]

1983年(昭和58年)に、第1回ミニ独立国サミット(USAサミット)が大分県宇佐市の新邪馬台国で開かれた。1984年(昭和59年)までは年2回、1985年(昭和60年)からは毎年1回開催されている[7]

主なミニ独立国の一覧

Remove ads

ミニ独立国をテーマとした作品

吉里吉里人
1981年に発表された井上ひさし長編小説。東北地方の寒村が独立宣言を行う。ブームのきっかけとなった。
サクラクエスト
2017年に放送されたテレビアニメ。ブームの終焉により寂れたミニ独立国「チュパカブラ王国」の2代目国王(観光大使)となった主人公が、仲間たちと共に地域おこしを開始する。

出典

参考文献

関連項目

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads