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メガスターダム

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メガスターダムMega Stardom1999年4月2日 - 不明)[1]日本競走馬種牡馬2001年ラジオたんぱ杯2歳ステークス2005年中京記念に優勝したほか、2002年菊花賞では3着となっている。

概要 メガスターダム, 欧字表記 ...

比較的、古馬になってから本格化する短距離馬を多く輩出したニホンピロウイナーの産駒でありながら、牡馬三冠路線や中長距離のレースで活躍した異色の競走馬[2]であった。主戦騎手は松永幹夫。ちなみに調教師の山本は現役時のニホンピロウイナーと好勝負を繰り広げたハッピープログレスを管理している。

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経歴

競走馬時代

2001年のデビューから6戦目で勝ち上がると、次走の500万下で評判馬モノポライザーの2着に入る。そしてラジオたんぱ杯2歳ステークスに格上挑戦で出走、単勝50.3倍の6番人気と評価は低かったが、マチカネアカツキとの叩き合いをハナ差制して見事に勝利。2歳にして早くも重賞を制覇した。

年が明け、3歳初戦のきさらぎ賞は1番人気だったものの、スタートで大きく躓き8着に終わる。次走のスプリングステークスも7着だったが、皐月賞は5着、プリンシパルステークスで1着、東京優駿(日本ダービー)では4着と人気以上の活躍を見せた。

秋初戦の神戸新聞杯では最後の直線で進路妨害され繰り上がりの4着、三冠最後の菊花賞では3番人気に支持された。スタート直後に1番人気ノーリーズン鞍上の武豊落馬するという波乱の展開の中、直線早めに抜け出したものの、叩き合いになったヒシミラクルと外を急襲したファストタテヤマに差し切られ3着であった。その後、有馬記念に向けて調整されていたが、屈腱炎を発症、長期休養することになった。

2年以上の休み明けを挟んだ初戦は1600万下のオリオンステークス。降級戦とはいえ、2年以上のブランクもあり5番人気に過ぎなかったが、ここで2着に入り健在をアピール。すると復帰3戦目の松籟ステークスを勝利してオープンに返り咲くと、続く京都記念こそ9着に敗れたが、次走の中京記念は4番人気ながら優勝。ラジオたんぱ杯2歳ステークス以来、およそ3年3ヶ月ぶりの重賞制覇となった。続く産経大阪杯で5着に入り、その後は天皇賞(春)へ向けて調整されていたが屈腱炎を再発。このまま引退することになった[3]

種牡馬時代

引退後は種牡馬入りし、熊本県本田牧場で供用されていた[4]。2008年に初年度産駒がデビューを果たし、同年7月19日に、小倉競馬場九州産限定新馬戦でフォーシーズンゴーが勝利し、中央競馬での産駒初勝利を挙げた。しかし以後の産駒成績は振るわず、2010年12月に用途変更[5]となり種牡馬を引退した。それ以降の消息は不明である。

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競走成績

要約
視点

以下の内容は、netkeiba.com[6]およびJBISサーチ[7]に基づく。

さらに見る 年月日, 競馬場 ...
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血統表

メガスターダム血統ハビタット系 /チャイナロック 18.75% 3 x 4(血統表の出典)[§ 1]
父系ハビタット系
[§ 2]

ニホンピロウイナー 1980
黒鹿毛 日本
父の父
*スティールハート
Steel Heart 1972
鹿毛
Habitat Sir Gaylord
Little Hut
A.1. Abernant
Asti Spumante
父の母
ニホンピロエバート 1974
鹿毛
*チャイナロック
China rock
Rockefella
May Wong
ライトフレーム *ライジングフレーム
グリンライト

フミノスキー 1986
黒鹿毛 日本
マルゼンスキー 1974
鹿毛
Nijinsky II Northern Dancer
Flaming Page
*シル Buckpasser
Quill
母の母
ベンドユウホウ 1978
栃栗毛
*ダイハード Never Say Die
Mixed Blessing
タイイサミ *チャイナロック
ハマイサミ F-No.4-d
母系(F-No.) 4号族(FN:4-d) [§ 3]
5代内の近親交配 チヤイナロツク3×4 [§ 4]
出典

脚注

外部リンク

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