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ファストタテヤマ
日本の競走馬 ウィキペディアから
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ファストタテヤマ(欧字名:Fast Tateyama、1999年5月30日 - 2012年11月11日[要出典])は、日本の競走馬[1]。主な勝ち鞍に2001年のデイリー杯2歳ステークス、2002年の京都新聞杯。主戦騎手は安田康彦と武幸四郎。
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後方からの追い込みを武器に、しばしば波乱を起こす穴馬として人気を博した。
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経歴
要約
視点
2歳
ファストタテヤマは2001年の札幌開催でデビューし、2着だった。2戦目は3着となり、連闘した3戦目で初勝利を挙げた。初勝利を挙げたファストタテヤマはデイリー杯2歳ステークスに出走、道中ポツンと離れた最後方から、直線だけで全馬を抜き去って優勝し、重賞初制覇を果たした。8番人気という低評価での優勝に、鞍上の安田康彦は「あんまり勝つ気なかったんですけど」と驚きを表現した。続く2歳王者決定戦の朝日杯フューチュリティステークスは13着と大敗した。
3歳春~夏
2002年はシンザン記念7着、若葉ステークス2着を経て皐月賞に出走するが、15着と大敗した。しかし、京都新聞杯では6番人気ながら鮮やかな差し切り勝ちで、重賞2勝目を挙げると共に父ダンスインザダークとの同レース親子制覇も果たした[注 1]。続く日本ダービーは15着、休養を経て出走した札幌記念でも13着と大敗した。その後、体調が整わなかったため、菊花賞へ直行した。
菊花賞
菊花賞でのファストタテヤマは春シーズンの戦績や札幌記念での凡走、臨戦過程などが原因で、18頭立て16番人気と非常に低い評価であった。レースはスタート直後に1番人気ノーリーズンに騎乗していた武豊が落馬するという大波乱で幕を開けた。道中序盤は先行馬がハイペースで飛ばし、中盤では一転して超スローペースという変則的な流れの中で、ファストタテヤマは後方で淡々とレースを運んだ。最後の直線では12番手の位置から一気に追い込み、次々と他馬をかわしたが、早めに抜け出したヒシミラクルにハナ差届かず2着となった。ヒシミラクルも10番人気の穴馬で、馬連配当9万6070円、三連複配当34万4630円は、いずれもクラシック史上最高配当となった。
菊花賞後~4歳
菊花賞後、鳴尾記念4着で3歳シーズンを終えたファストタテヤマだったが、古馬になってからはなかなか勝てなくなった。2003年は日経新春杯から始動したが7着、以後京都記念14着、阪神大賞典3着、天皇賞(春)6着、宝塚記念9着、オールカマー2着、天皇賞(秋)7着、ステイヤーズステークス10着、有馬記念10着と9戦して0勝とこの年は不振だった。なお、ステイヤーズステークスでは、1番人気に推されている。
5歳~6歳
2004年は京都記念から始動したが5着、以後阪神大賞典3着、天皇賞(春)11着、目黒記念9着、京都大賞典9着、中日新聞杯7着と6戦して0勝と連敗が続いた。
2005年はオープン特別の万葉ステークスから始動したが4着と敗れ、京都記念5着、中京記念14着と連敗が続いたため、主戦騎手の安田は降板、夏まで休養することになった。夏はオープン特別のみなみ北海道ステークスから復帰して3着となり、札幌記念に出走した。12番人気だった札幌記念では、優勝したヘヴンリーロマンス(9番人気)からクビ差の2着まで追い込み、三連単配当275万円超の大波乱を起こした。
札幌記念の好走でようやくスランプ脱出かに思われたが、秋は京都大賞典3着になったものの、アルゼンチン共和国杯は8着、初のダート戦となった春待月ステークスでは11着と大敗し、成績を落としたままこの年は終わった。なお、この年の京都大賞典から武幸四郎が騎乗している。
7歳
2006年はオープン特別の万葉ステークスから始動、4番人気ながら勝利を収めた。これが3年半ぶりの勝利だった。だが、その後はダイヤモンドステークス5着、阪神大賞典5着、天皇賞(春)6着、宝塚記念11着と凡走が続いた。
それでも、夏はオープン特別のみなみ北海道ステークスで快勝した。札幌記念では6着だったが、京都大賞典では7番人気ながら宝塚記念優勝馬のスイープトウショウに並ぶ上がり32秒8という脚で2着に入り、また波乱を起こした。
だが、その後天皇賞(秋)は11着、ステイヤーズステークスは8着に終わった。
8歳
2007年もオープン特別の万葉ステークスから始動、4着だった。そして、京都記念11着、阪神大賞典6着を経て出走した大阪-ハンブルクカップで上がり33.2の脚を繰り出して快勝、これがファストタテヤマの最後の勝利となった。この勝利も6番人気という人気薄での優勝だった。
その後、天皇賞(春)10着、宝塚記念5着、みなみ北海道ステークス4着、札幌記念10着と凡走を繰り返し、京都大賞典6着を最後に競走馬を引退した[2]。
ファストタテヤマは条件戦に出走した経験がなく、2歳時から一貫してオープンクラスで息の長い活躍を続け、通算6勝(そのうち重賞2勝)を挙げているが、古馬になってからは重賞を勝つことはできなかった。それでもオープン特別戦では3勝を挙げており、重賞でも2着が3回ある。
輸送競馬が苦手だったためか、関東圏の競馬場(東京競馬場・中山競馬場)では12戦して0勝、2003年のオールカマー2着が目立つ程度であり、あとはほぼ惨敗を喫した。反面、滞在競馬となる北海道の競馬場(札幌競馬場・函館競馬場)では2勝の他、札幌記念やオープン特別でも好走が見られた。その他、左回りの競馬場での勝利も無かった。
引退後
引退後は福島県のいわきホースパークで乗馬となり、馬術競技馬として登録された。競技馬として馬名を「ケイローン」、その後「覇王」と2度変更している。最終的には千葉県八街市のパラドール・ドレッサージュ・ステーブルに繋養されていた[3]。
その後、2012年11月11日に腸捻転のため死亡した[要出典]。13歳没。
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競走成績
要約
視点
以下の内容は、netkeiba.comの情報に基づく[4]。
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血統
ファストタテヤマの血統(サンデーサイレンス系 / Northern Dancer 4×4=12.50%) | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | ヘイロー系(サンデーサイレンス系) |
[§ 2] | ||
父 ダンスインザダーク 1993 鹿毛 |
父の父 *サンデーサイレンスSunday Silence 1986 青鹿毛 |
Halo | Hail to Reason | |
Cosmah | ||||
Wishing Well | Understanding | |||
Mountain Flower | ||||
父の母 *ダンシングキイDancing Key 1983 鹿毛 |
Nijinsky | Northern Dancer | ||
Flaming Page | ||||
Key Partner | Key to the Mint | |||
Native Partner | ||||
母 メインゲスト 1986 栃栗毛 |
*ターゴワイス Targowice 1970 黒鹿毛 |
Round Table | Princequillo | |
Knight's Daughter | ||||
Matriarch | Bold Ruler | |||
Lyceum | ||||
母の母 ダイナアンバー1978 鹿毛 |
*ノーザンテースト Northern Taste |
Northern Dancer | ||
Lady Victoria | ||||
*クリアアンバー Clear Amber |
Ambiopoise | |||
One Clear Call F-No.4-m | ||||
母系(F-No.) | 4号族(FN:4-m) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | Northern Dancer4×4 | [§ 4] | ||
出典 |
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脚注
外部リンク
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