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モーニングEye

TBSのワイドショー番組 ウィキペディアから

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モーニングEye』(モーニング・アイ)は、1984年11月5日から1996年9月27日までTBS系列各局で毎週月 - 金曜に生放送されていたTBS制作のワイドショー番組である[1]

概要 ジャンル, 出演者 ...
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概要

要約
視点

森本毅郎さわやかワイド』の後継番組としてスタート。当初は総合司会の森本毅郎冠番組として『森本ワイド』(もりもとワイド)のサブタイトルが付されたが[2]1987年、その森本が『ニュース22プライムタイム』のメインキャスターとして異動し、池田裕子(絵門ゆう子)とともに番組を降板。総合司会を山本文郎と、当時の新人だった長峰由紀(当時TBSアナウンサー)に交代、同時に総合司会者の冠が外れた。1991年4月1日に山本のパートナーが長峰から渡辺真理(当時TBSアナウンサー)に交代。山本は就任当時TBSアナウンサー(社会情報局専門局局長兼任)だったが、1994年9月末の退社・フリー転身後も専属契約のキャスターとして総合司会を続けた。

モーニングジャンボ奥さま8時半です』『森本毅郎さわやかワイド』と同様に、9:15頃まではライオンの一社提供で、佐藤遥子伊津野亮などの生CMが放送されていた。のちの『はなまるマーケット』→『いっぷく!』→『ビビット』→『グッとラック!』→『ラヴィット!』にも引き継がれている。

1990年代の制作協力会社は東京ビデオセンター・ファーストハンド・東放制作(現在のTBSスパークル)。この3社は1987年10月4日に開始した『サンデーモーニング』も制作協力をしていた(東京ビデオセンターは2024年3月で制作協力から離脱)。制作スタッフはこの3社に加え、TBSからもプロデューサー・ディレクターなどが参加していた。当番組を制作していた社会情報局から報道局(記者など)へ異動したスタッフが何人かいた。

1986年放送の情報番組『中村敦夫の地球発22時』(毎日放送制作・TBS系)で森本毅郎司会時代の当番組が密着取材されていた。司会の森本毅郎・池田裕子・村上允俊リポーターのほか、古屋敷義房プロデューサー・田嶋敦ディレクター(2名とも東京ビデオセンター)が映し出されていた。当時の田嶋敦ディレクターは2025年5月現在、東京ビデオセンターの代表取締役社長を務めている。

「ゲストコメンテーター」は極力使っていなかった。例外は月曜の和田勉と、金曜日の天野祐吉木元教子山本コウタロー田中康夫前田武彦残間里江子平野陽子(特集コーナーの「WEEKポイント」・「WEEKポイント・延長戦」(放送時間拡大時の1992年10月以降から)出演のため)など。

芸能人は「さん」といった敬称を使用していた(当時の『ビッグモーニング』、『関口宏のサンデーモーニング』、『情熱ワイド!ブロードキャスター』、後継番組の『はなまるマーケット』も同じ)。

事件・芸能・皇室だけではなく、きんさんぎんさん・政治・経済・特撮映画(『ゴジラ』、『モスラ』など)などの話題も多く取り上げていた。当時のテレビ朝日制作として放送されていた『モーニングショー(第1期)』→『スーパーモーニング』と同じく、時事問題を多く取り上げていた。

芸能ニュースは小川みどりみといせい子が中心となってリポートしていた。リポート後、宇都木員夫(芸能デスク)が解説を加えていた。

リポーターの村上允俊が『トリカブト保険金殺人事件』を連日伝えていた。この事件は当時の『ビッグモーニング』(下村健一アナウンサー)でも頻繁に伝えていた。

事件・不祥事・殺人事件・統一教会幸福の科学オウム真理教事件などは、高村智庸剛たつひと、山形美房、津島令子などが詳しく伝えていた。

1993年頃、総合司会の山本文郎が番組内で「お前の番組は皇室の話題が多い」という視聴者からの意見を紹介していたが、実際に皇室の番組がTBSで多かったのは午後の『3時にあいましょう』→『スーパーワイド』だった。

1990年代前半は同時間帯の視聴率1位を独走していた[3]

番組末期の1996年4月からの半年間は、宇崎竜童 & RUコネクション with 井上堯之の楽曲「鳥の瞳で」(シングル『GOD BLESS TOKYO』カップリング/アルバム『起承転々』所収)がテーマ曲として流れていた。

TBSビデオ問題」の責任を取る形でTBSはワイドショーの廃止を決定した[注釈 1]ため、1996年9月27日に終了。『モーニングジャンボ』時代から通算25年半続いた朝のワイドショー番組は一旦幕を下ろす事になり、本番組としては約12年続いた。『モーニングEye』はTBSビデオ問題に関しては全くの無関係である。「TBSビデオ問題」が発覚した後は、当番組でも大きく取り上げていた。後継番組は、岡江久美子薬丸裕英が総合司会を務める生活情報番組はなまるマーケット』。なお、山本は本番組終了と共にTBSとの専属契約が切れてフリーとなり、先立って終了していた『スーパーワイド』の後継番組で同じく生活情報番組『素敵なあなた』に異動した。

『はなまるマーケット』(2014年3月28日まで)は「生活情報番組」、その後継番組『いっぷく!』(同年3月31日 - 2015年3月27日)は「情報番組」という位置付けだったが、『いっぷく!』に代わって2015年3月30日から本枠で開始した『白熱ライブ ビビット』(2017年4月3日から『ビビット』に改題、2019年9月27日に終了)は「ワイドショー・情報バラエティ番組」との位置付けとなり、本番組終了以来18年半ぶりに本枠でのワイドショーが事実上の復活となった。『ビビット』の後継番組『グッとラック!』もワイドショー路線を継続したが、『ビビット』時代から続く視聴率低迷により2021年3月で終了。同年春開始の新番組からは再びワイドショー路線から撤退し、『はなまるマーケット』をモデルとした新生活情報番組『ラヴィット!』に切り替わる。なお、『はなまるマーケット』までは制作協力会社が同じく敬称を付けていたが、『いっぷく!』以降は他のTBSの報道・情報番組と同じく有名人は基本的に呼び捨てとなっている。

2014年2月27日放送の『朝ズバッ!』で山本の死去が伝えられた際、本番組初総合司会時の映像が流れた。

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出演者

要約
視点

放送時間・総合司会・アシスタント

さらに見る 期間, 放送時間(JST) ...

コメンテーター

月曜
金曜

特集コーナー:『WEEKポイント』・『WEEKポイント・延長戦』など。

ほか

リポーター・芸能デスク・ナレーター

ほか

レギュラー

  • 三波豊和
  • 田中義剛(「おとなの通信簿」のコーナーで出演)
  • 渡嘉敷勝男(「こりゃまた失礼」のコーナーで出演)
  • 松岡憲治(「女の人生相談 どうすりゃいいの?」のコーナーで出演、放送当時TBS社員)
  • 金谷ヒデユキ(1990年代『WEEKポイント』のコーナーで、冒頭替え歌を歌っていた)

ほか

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コーナー

末期は一つ前の番組(終了当時は『おはようクジラ』)の本編終了直後に15秒間の生予告を行い、その後ステブレCMを挟んで始まっていた。この予告内では主として当日伝える話題の紹介を山本・渡辺が行っていた。これは後番組の『はなまるマーケット』でも2005年3月まで引き継がれた。

10:20までの放送になった1992年10月5日から、9:50頃には最新のニュースを山本・渡辺が伝えていた。山本は関東ローカルの報道番組『テレポートTBS6』のキャスター経験はあるが、ニュースは報道局のキャスターが伝えていたため、当番組で初めて読むことになった。9:55で飛び降りる地域ではこのコーナーまでの放送となり、コーナー終了時にはスタジオ内の生花の映像をバックに画面右下に番組ロゴを表示していた[注釈 2]

金曜日には金谷ヒデユキの替え歌コーナーを放送していた時期があった。当時、私生活で問題になった金曜コメンテーターの山本コウタローも替え歌のターゲットになった時があった(「走れコウタロー」が使われた)。

渡辺時代は、水曜9:55枠で「プリティウーマン」と題したコーナーがあり、各ジャンルで活動する女性をゲストに迎えトークを行った。

ネット局

  • ネット開始状況について
    • ●…自局自身の新規開局によるもの。
    • △…当該地域におけるテレビ朝日系列の新規開局によるもの[注釈 3]
さらに見る 放送対象地域, 放送局 ...

ネット局に関する備考

  • 本番組を放送していた時期は、テレビ朝日制作の『モーニングショー(第1期)』→『スーパーモーニング』をネットしていた地方局が多かった。テレビ朝日系列の新規開局後、熊本放送長崎放送北陸放送大分放送琉球放送では順に放送を開始したほか、1989年10月以降に開局したテレビユー山形チューリップテレビあいテレビといった新規開局のTBS系列でも放送を開始し、1989年9月29日までは17局ネットだったが、1995年10月2日には最大の25局ネットになった。
  • テレビ山口ではフジテレビ制作の『おはよう!ナイスデイ』、山陰放送宮崎放送はテレビ朝日制作の『モーニングショー(第1期)』→『スーパーモーニング』をネットしていたため、最後まで未ネットだった。
  • 1989年1月8日(日曜)の昭和天皇崩御における特別番組では本番組で司会をしていた山本・長峰が午前の番組に出演していた。当時、本番組を放送していなかった北陸放送・山陰放送・テレビ山口・長崎放送・大分放送・熊本放送・宮崎放送・琉球放送でもこの内容を放送していた。
  • 放送時間が10:20までに拡大された1992年10月5日の放送分から番組終了までの4年間においては、通常時のフルネット局では臨時に9:55飛び降りを行うことがあった一方、逆に通常時の9:55飛び降り局でも臨時にフルネットを行うことがあった。
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注釈

  1. なお、TBSのワイドショーは2004年秋に『(特)情報とってもインサイト』をもって復活している。
  2. この時、関東地区に限って画面左下に「この後も引き続き…」というテロップも表示されていた。TBS以外の一部系列局でも、番組が引き続き放送される旨のテロップを独自で挿入していた。9:55で終了する地域は画面左下に「製作著作 TBS」のテロップを挿入していた。
  3. 前番組は『モーニングショー(第1期)』(1993年4月2日以前)→『スーパーモーニング』(同月5日以降、但し8:30飛び乗り開始)をネット。
  4. つまり、当局の開局当日(1992年10月1日)から全ネット局で放送時間が9:55までの設定になっていたのはわずか2回しかなかった。
  5. 当局の通常時における平日8時台後半がTBS制作の編成となるのは8:00 - 9:00に編成されていた『おはよう・にっぽん』が終了して以来約25年ぶりとなった。
  6. 当局の通常時における平日8時台後半がTBS制作の編成となるのは8:00 - 9:00に編成されていた『おはよう・にっぽん』が終了して以来約27年ぶりとなったうえ、1972年5月15日に沖縄地域が日本に返還されてからはこの本番組が初となった。
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出典

関連項目

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