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ロニー・ロドリゲス
ドミニカ共和国の野球選手 (1992-) ウィキペディアから
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ロニー・ロドリゲス・マルティネス(Ronny Rodríguez Martinez, 1992年4月17日 - )は、 ドミニカ共和国サントドミンゴ出身のプロ野球選手(内野手)。フリーエージェント(FA)。右投右打。
CPBLでの登録名は龍德力。
愛称はエル・フェリーノ(El Felino - スペイン語で「猫」の意)[1]。野球以外にもラッパーとしても活動しており、ラッパーとしてはこの名前を使っている。
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経歴
要約
視点
プロ入りとインディアンス傘下時代
2010年10月にクリーブランド・インディアンスと契約してプロ入り。
2011年に傘下のA級レイクカウンティ・キャプテンズでプロデビュー。98試合に出場して打率.246、11本塁打、42打点、10盗塁を記録した。
2012年はA+級カロライナ・マドキャッツでプレーし、126試合に出場して打率.264、19本塁打、66打点、7盗塁を記録した。オフにはアリゾナ・フォールリーグに参加し、スコッツデール・スコーピオンズに所属した。
2013年はAA級アクロン・エアロズでプレーし、116試合に出場して打率.265、5本塁打、52打点、12盗塁を記録した。
2014年はAA級アクロン・ラバーダックス[2]でプレーし、118試合に出場して打率.228、5本塁打、34打点、4盗塁を記録した。
2015年もAA級アクロンでプレーし、72試合に出場して打率.286、11本塁打、29打点、4盗塁を記録した。オフの11月に開催された第1回WBSCプレミア12のドミニカ共和国代表に選出された。11月12日の日本戦では小川泰弘から本塁打を打った[3]。
2016年はAAA級コロンバス・クリッパーズでプレーし、116試合に出場して打率.258、10本塁打、59打点、4盗塁を記録した。
2017年もAAA級コロンバスでプレーし、117試合に出場して打率.291、17本塁打、64打点、15盗塁を記録した。オフの11月6日にFAとなった[4]。
タイガース時代
2017年12月21日にデトロイト・タイガースとマイナー契約を結び、2018年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[5]。
2018年は開幕を傘下のAAA級トレド・マッドヘンズで迎え、5月30日のシラキュース・チーフス戦ではサイクル安打を達成している[6]。翌31日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りし[7]、同日のロサンゼルス・エンゼルス戦でメジャーデビュー[8]。8月23日のシカゴ・ホワイトソックス戦ではジェームズ・シールズからメジャー初本塁打を打った[9]。この年メジャーでは62試合に出場して打率.220、5本塁打、20打点、2盗塁を記録した。
2019年は84試合に出場して打率.221、14本塁打、43打点、3盗塁を記録した。
ブルワーズ傘下時代
2019年12月9日ウェイバー公示を経てミルウォーキー・ブルワーズへ移籍した[10]。
2020年9月14日にDFAとなり[11]、16日にマイナー契約となった[12]。オフの11月2日にFAとなった[4]。
日本ハム時代
2020年11月27日、北海道日本ハムファイターズとの契約に合意[13]。年俸4,000万円の1年契約を結んだ(金額は推定)[14]。2桁本塁打を記録した長打力と内野全般を守れるユーティリティ性などが評価された[13][15]。同じ苗字の投手であるブライアン・ロドリゲスがいるため、報道上の表記およびスコアボード上の表記は「R.ロドリゲス」が使われる。
2021年はCOVID-19の影響で来日が4月3日と遅れ、隔離期間を終えた4月18日に入団会見を開きチームに合流[16]。調整を経て4月22日に一軍登録され、同日の千葉ロッテマリーンズ戦に6番三塁で来日初出場。しかし14打数連続ノーヒットと苦しみ、さらに新型コロナウイルスに感染してしまい5月2日に登録抹消[17]。5月25日に一軍復帰すると同日の東京ヤクルトスワローズ戦で来日初安打[18]、翌26日のヤクルト戦では来日初本塁打を記録したものの[19]6月4日に登録抹消。6月26日に再び一軍登録され、同日のロッテ戦では来日初盗塁を記録したが[20]、前半戦は打率.088と打撃不振に苦しんだ。しかしエキシビションマッチで好調をアピールすると[21]、中田翔が不祥事でチームから放出され、渡邉諒は打撃不振が続き、一塁と二塁での出場機会が増加。レギュラーシーズン再開後も好調を維持し、8月は月間打率.273、9月はスタメン起用された6試合で3本塁打を記録[22]。一塁高濱祐仁・二塁佐藤龍世・三塁野村佑希と若手が優先される中、少ないスタメンでの出場機会で結果を残し、10月8日のロッテ戦では来日初の猛打賞を記録した[23]。斎藤佑樹の引退試合となった10月17日のオリックス・バファローズ戦(札幌ドーム)では先制の適時二塁打を放つも[24]走塁時に右太もも裏を痛め、第2打席の途中でベンチに退いた[25]。右ハムストリングの肉離れ(1度)と診断され、翌18日に登録を抹消された[26]。
台湾・味全時代
2022年1月19日に台湾プロ野球の味全ドラゴンズと契約した[27]。4月28日にCPBL初出場を果たした。6月22日の試合で負傷したことにより出場選手登録を抹消され、以降は1軍に昇格出来ず、8月17日に解雇された[28]。
メキシカンリーグ時代
2023年1月31日にリーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボル(メキシカンリーグ)のモンテレイ・サルタンズと契約を結んだ[29]。29試合に出場して打率.273、6本塁打、18打点を記録したが、5月30日に自由契約となった。翌31日にユカタン・ライオンズにウェーバーで移籍した。ユカタンでは10試合に出場し、打率.081、0本塁打、4打点という結果に終わった。シーズン終了後にFAとなった。
2024年はカンペチェ・パイレーツで開幕から15試合に出場したが、打率.152、1本塁打、3打点に終わり、5月15日に自由契約となった。
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選手としての特徴・人物
二塁を中心に内野全ポジションと外野をこなすユーティリティープレイヤー[30][31]。打撃ではパンチ力が武器[30]。一方で、選球眼と確実性を課題としている[32]。
ラッパーとしても活動しており、2017年のシーズン終了後にはミュージック・ビデオをリリースしている[33]。
日本ハム時代は英語が話せる谷内亮太と特に親しく、彼をスペイン語で友達を意味する「アミーゴ」と呼び慕っている[34][35][36]。日本ハム退団後の2023年9月27日に行われた谷内の引退セレモニーではビデオでメッセージを送っている。
詳細情報
年度別打撃成績
- 2022年度シーズン終了時
年度別守備成内野守備
- 外野守備
- 2021年度シーズン終了時
記録
NPB
- 初記録
- 初出場・初先発出場:2021年4月22日、対千葉ロッテマリーンズ6回戦(ZOZOマリンスタジアム)、6番・三塁手で先発出場
- 初打席:同上、2回表に岩下大輝から捕邪飛
- 初安打:2021年5月25日、対東京ヤクルトスワローズ1回戦(明治神宮野球場)、3回表に金久保優斗から左前安打
- 初本塁打・初打点:2021年5月26日、対東京ヤクルトスワローズ2回戦(明治神宮野球場)、6回表に清水昇から左越ソロ
- 初盗塁:2021年6月26日、対千葉ロッテマリーンズ7回戦(静岡草薙球場)、7回裏に二盗(投手:フランク・ハーマン、捕手:柿沼友哉)[37]
背番号
- 60(2018年 - 2019年)
- 53(2021年 - 2022年)
代表歴
脚注
関連項目
外部リンク
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