トップQs
タイムライン
チャット
視点
下呂町
日本の岐阜県益田郡にあった町 ウィキペディアから
Remove ads
下呂町(げろちょう)は、かつて岐阜県益田郡にあった町。2004年(平成16年)3月1日に益田郡の他4町村と合併し、下呂市が発足した。下呂温泉で知られる。
Remove ads
地理
面積の90%を山林が占め、御嶽山系の1,000m級の山々に囲まれている。川が町のほぼ中央を貫流する飛騨川に合流している。
隣接していた自治体
歴史
上古
- 『岐阜県益田郡誌』によると、「光仁天皇の御代宝亀7年までは大野郡伴有里の内なりしも後下留郷となし、又其後・・・湯之島・森・小川・三原に中原村大字門原の舊六ヶ村を下呂郷と称す」、「蓋し村名の起因は前記下留が下呂と轉じたるならむ」[1]とあり、古くは下留(しものとまり)と呼ばれていたものがやがて下留(げる)を経て下呂(げろ)と変化したものであろうと言われている。
近代
- 江戸時代末期に、この地域は飛騨国益田郡下呂郷と呼ばれていた。江戸時代の初めに飛騨高山藩の金森氏が下呂地域を統治していた。後に天領となった。
- 1883年(明治16年)6月1日 小川、森、湯之島、東上田の各村が三郷村より分離し下呂村と改称する。
- 1889年(明治22年)7月1日 町村制施行により下呂村と川西村の一部であった三原、少ヶ野村が合併し下呂村が発足。
- 1925年(大正14年)1月1日 町制施行により下呂町(初代)となる。
- 1955年(昭和30年)4月1日 竹原村、上原村、中原村と合併し下呂町(2代)が発足。
- 2004年(平成16年)3月1日 小坂町、金山町、萩原町、馬瀬村と合併し下呂市が発足。同日下呂町廃止。
Remove ads
行政
- 歴代町長
- 初代:今井覚次郎(1955年4月20日~1955年8月1日)
- 2代:細江辰己(1955年8月9日~1967年8月8日)
- 3代:斎藤章治(1967年8月9日~1968年12月20日)
- 4代:斎藤三寸三(1969年1月22日~1977年1月21日)
- 5代:矢澤鐘三(1977年1月22日~1993年1月21日)
- 6代:松田正治(1993年1月22日~1997年1月21日)
- 7代: 岡前基三郎 (1997年1月22日~2004年2月29日)
経済
産業
教育
2004年以前に廃校となった学校
- 岐阜県立益田高等学校下呂分校(1974年廃校)
- 下呂町立下呂小学校東上田分校(1965年廃校)
- 下呂町立門和佐小学校(1967年廃校)
- 下呂町立和川小学校(1967年廃校)
- 下呂町立和佐小学校(1969年廃校)
- 下呂町立中山小学校(1969年廃校)
- 下呂町立中山小学校久野川分校(1969年廃校)
- 下呂町立宮地小学校(1971年廃校)
- 下呂町立竹原東小学校(1971年廃校)
- 下呂町立竹原西小学校(1971年廃校)
交通
鉄道路線
道路
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
脚注
関連項目
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads

