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中村国昭

日本のプロ野球選手 (1947-) ウィキペディアから

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中村 国昭(なかむら くにあき、1947年2月28日 - )は、大分県津久見市出身の元プロ野球選手内野手)。

概要 基本情報, 国籍 ...
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来歴・人物

津久見高では1963年、2年生の時に三塁手として、エース高橋直樹を擁し第45回全国高等学校野球選手権大会に出場。1回戦で中京商に3-4で惜敗した。高校同期に池田重喜投手がいる。

高校卒業後は、池田とともに社会人野球日本鉱業佐賀関に入団。1966年プロ野球第一次ドラフト会議読売ジャイアンツから5位指名されるもこれを拒否し、会社に残留する。1967年都市対抗野球に出場し、1回戦で電電東北を降す。しかし2回戦で日本コロムビアに9回2死から逆転サヨナラ負け。

1969年オフにアトムズドラフト外で入団。

ヤクルト時代

1970年は開幕から七番打者、三塁手として先発出場(ヤクルト球団の「新人野手開幕試合スタメン」はこれ以降、2010年荒木貴裕まで現れなかった)を果たす。しかし打撃面で伸びず、5月には城戸則文らにポジションを譲った。。

1972年二塁手として44試合に先発。

1973年には武上四郎の故障もあり、開幕から二塁手として起用され91試合に先発出場。

1974年には武上が復帰したが、一塁手も兼ね自己最多の9本塁打を放つ。

1975年も内野のユーティリティプレイヤーとして110試合に出場した。

日本ハム時代

1978年三浦政基との交換トレードで、日本ハムファイターズに移籍。同年は二塁手として44試合に先発するが、打撃面で振るわず。

1979年限りで現役を引退した。

その後、2005年に故郷である大分に社会人野球クラブチーム大分ソーリンズ野球倶楽部を結成し、監督に就任した。

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詳細情報

年度別打撃成績

さらに見る 年 度, 球団 ...

背番号

  • 44 (1970年 - 1975年)
  • 9 (1976年 - 1977年)
  • 26 (1978年 - 1979年)
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関連項目

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