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今井遥

日本のフィギュアスケート選手 ウィキペディアから

今井遥
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今井 遥(いまい はるか、1993年8月31日 - )は、日本の元フィギュアスケート選手(女子シングル)。2008年JGPゴールデンリンクス優勝。2008年全日本ジュニア選手権優勝。2010年2013年オンドレイネペラトロフィー優勝。2011年冬季アジア大会銀メダル。2011年GPスケートアメリカ4位。2014年四大陸選手権4位。2015年CSオータムクラシック2位。ISUフィギュアスケート(女子シングル)世界ランキング最高13位(2013-2014)[2]。夫はプロフィギュアスケーターの中村優[1]

概要 今井 遥 Haruka IMAI, 生誕 ...
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経歴

要約
視点

東京都武蔵村山市出身。武蔵村山市立第四小学校、武蔵村山市立第二中学校[3]日本橋女学館高等学校卒。大東文化大学外国語学部英語学科中退、早稲田大学人間科学部通信教育課程(eスクール)卒業[4]学位学士(人間科学)

華奢な身体と見た目の可憐さから“氷上の妖精”と謳われる[5]。スケートを始めたのが小学校3年生(9歳)と国際大会に出場する選手としては遅い部類に入る[6]

2007年全日本ジュニア選手権で7位に入りジュニア強化選手に選ばれ、一躍脚光を浴びる。

2008-2009シーズン

初出場となったジュニアグランプリシリーズのゴールデンリンクスで優勝。その勢いのまま全日本ジュニア選手権において鈴木真梨村上佳菜子ら同世代のスターが揃う黄金世代を破って優勝し、全日本選手権および世界ジュニア選手権に初出場。

2009-2010シーズン

JGPブダペスト杯3位、同ニース杯3位。全日本ジュニア選手権で2位となり連覇は逃したものの、前年に続いて出場した全日本選手権で6位入賞。欠場辞退した中野友加里に代わり2010年バンクーバーオリンピック女子シングル日本代表補欠に繰り上げ選出、ならびに2010年四大陸選手権で初のシニア日本代表に選出される。四大陸選手権では自己ベストスコアを更新し5位に入賞[7]。この成績により翌2010-2011シーズン初のシニアグランプリシリーズ出場を果たす。

2010-2011シーズン

初戦のオンドレイネペラ杯で優勝。ISUグランプリシリーズであるスケートカナダ5位、エリック・ボンパール杯6位。全日本選手権12位。2011年1月、全国高等学校スケート選手権大会フィギュア競技(インターハイ)女子シングル優勝[8]。インターハイ終了から一週間後に渡航した2月の冬季アジア大会(アスタナ・アルマティ)では2位銀メダルを獲得した[9]。3月のガルデナスプリング杯は3位。

2011-2012シーズン

フィギュアスケートに集中できる環境を求め拠点をアメリカのデトロイトに移し、アリッサ・シズニージェレミー・アボットらトップ選手とともにジェイソン・ダンジェン佐藤有香の両コーチに師事[10]スケートアメリカ4位、ロステレコム杯6位入賞、全日本選手権では自己最高の4位という結果を残す。その後2年ぶりに出場した四大陸選手権では、夏に疲労骨折した右足甲のケガが再発し9位に終わる[11]

2012-2013シーズン

初戦のネーベルホルン杯3位。グランプリシリーズにも継続参戦し、スケートアメリカ5位、NHK杯8位。全日本選手権14位。ガルデナスプリング杯2位でシーズンを終える。

2013-2014シーズン

練習拠点を日本へ戻し、所属をムサシノFSC(東京)、コーチを道上留美子に変更。2013年10月、日本スケート連盟フィギュアスケート特別強化選手へ昇格。シーズン初戦のオンドレイネペラ杯で優勝。中国杯6位、ロステレコム杯9位。

ソチオリンピック出場を賭けた全日本選手権では自己記録を更新し、鈴木明子村上佳菜子浅田真央宮原知子に次ぐ5位入賞。バンクーバーオリンピックに引き続きソチオリンピックにおいても女子シングル日本代表補欠として選出された。2014年四大陸選手権では自己ベストをマークし4位に入賞。続くチャレンジカップ2位、国民体育大会は優勝した。

2014-2015シーズン

2014年7月、祖父母の出身地である新潟市に新設された新潟市アサヒアレックスアイスアリーナに練習拠点を移し、所属を新潟県スケート連盟へ変更した[12]。前シーズンの結果と浅田真央の休養、鈴木明子の引退で全日本選手権表彰台、世界選手権代表ならびに上位入賞を期待されていたが、2013年から発病していた盲腸の手術を回避し続けた影響で不調が続く[13]。ISUチャンジャーシリーズオンドレイネペラ杯で5位、GPシリーズはエリック・ボンパール杯8位、スケートアメリカ8位。全日本選手権は10位。

2015-2016シーズン

初戦カナダで行われたオータムクラシックで、非公式ではあるがFS自己ベストをわずかに上回る116.72、トータルも174点代と自己ベストに迫る得点で2位に入る。続くGPシリーズではスケートアメリカ10位。続くエリックボンバール杯ではSP終了後、FSがテロの影響で中止になり暫定順位9位のまま途中終了。全日本選手権は14位[14]

2016-2017シーズン以降

2016-2017シーズン、地方予選を突破し出場した全日本選手権は19位。年明けに長野で行われた国民体育大会に出場し7位入賞。

2017-2018シーズン、シーズン初戦の北海道・東北選手権は2位[15]となったが、続く東日本選手権はブロック大会からの怪我が響き棄権。これにより2008年から連続で出場していた全日本選手権出場記録は9回となった。

2018年3月1日、自身のInstagramで現役引退を表明[16][17]

2024年7月7日、プロフィギュアスケーターの中村優との結婚を発表[1][18]

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現役当時のスポンサー

現役引退後

現役引退後はプロフィギュアスケーター兼インストラクターとして活躍。2020年に浅田真央から直接勧誘を受け浅田真央サンクスツアーに途中参加[19][20]して以降、浅田真央アイスショーBEYOND浅田真央アイスショーEverlasting33に連続出演。インストラクターとしては2025年にオープンしたMAO RINK TACHIKAWA TACHIHI (立川市)併設スケートスクールに所属しており[21]、国内選手やベトナム代表選手の指導に当たっている。

技術・演技

スピードが速く滑らかなスケーティングと柔らかな演技、美麗な衣装で国際的な評価が高く、他国開催のグランプリシリーズの招待を多数受けていた。ジャンプはアクセルを除く5種類の3回転ジャンプを飛べる。コンビネーションでは、3T+3T、2A+3T、3S+3T、3Lo+3T、3Lo+2T+2Loを成功している。サルコウとループを得意としており、特にSPでよく使う3S+3Tコンビネーションは高い加点を受ける。

また、ドーナツスピンは回転が速くポジションも美しいと評価されている。

衣装

ジュニア時代から衣装に対するこだわりが強く、現在羽生結弦浅田真央をはじめ多くの著名フィギュアスケーターのコスチュームデザインを手掛ける衣装デザイナーの第一人者、伊藤聡美の作品を無名時代にいち早く採用したエピソードが有名[22][23]。2013年6月、当時チャコットの社員だった伊藤が営業用に持ち込んだサンプル衣装を一目で気に入った今井はその場で即採用を決め、当日夜のドリームオンアイスで着用し「無言歌集」を披露した。

その後オリジナルで製作された2013-2014シーズンFS「恋人達の夢」の衣装は、国内にとどまらず世界のスケーター、ジャッジ、ファンに大きな反響をもたらし、後のフィギュアスケート界に伊藤デザインの優美な衣装が多々誕生していくきっかけとなった。

著書・関連書

単著

協力

主な戦績

詳細

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プログラム使用曲

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脚注

外部リンク

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