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中野友加里
日本の女性タレント、元フィギュアスケート選手 (1985-) ウィキペディアから
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中野 友加里(なかの ゆかり、ラテン文字:Yukari Nakano、1985年8月25日[2] - )は、愛知県江南市出身の日本の元フィギュアスケート選手(女子シングル)、YouTuber(2022年現在休止中)。おもな実績に、2005年NHK杯優勝、2007年冬季アジア大会優勝。2005年GPファイナル3位、2006年四大陸選手権2位、2008年世界選手権4位などがある。
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人物
椙山女学園大学附属小学校、椙山女学園中学校・高等学校、早稲田大学人間科学部を経て、同大学院人間科学研究科を修了[5]する。大学入学時から大学院修了までプリンスホテルに所属した。兄と6歳上の姉がいる[6]。真面目で負けん気が強い性格[7]。愛用しているリングは両親からもらった結婚指輪[8]。
技術・演技
6種類の3回転ジャンプを跳ぶ数少ない女子選手の一人である。シニア移行時には極端に難しいジャンプ構成を組む選手として知られ、海外では「クレージーガール」と呼ばれることもあった[9]。3回転アクセルには2000年から取り組む。その後、怪我などで一度中断していたが、シニアに上がる際に自分の特徴を作るために再開した[10][11]。競技会では2002年の中部ブロック大会、国際競技会では同年のスケートアメリカで、それぞれ成功した。同年の西日本選手権と全日本選手権では3回転アクセル-2回転トウループのコンビネーションジャンプも跳んでいる。ジャンプの際に踏みきった脚にもう一方の脚がからみつく「巻き足」になる癖があり[1]、GOEでマイナスの評価を付けるジャッジもいる[12]。
経歴
要約
視点


幼少期 - ジュニアクラス
6歳でスケートを始め[13][14]、高校卒業まで名古屋のグランプリ東海クラブに所属で山田満知子、樋口美穂子らの指導を受ける。1998-1999シーズン、全日本ノービス選手権Aクラスで優勝。自身初の国際大会となるトリグラフトロフィーノービスクラスでも優勝を果たした。
1999-2000シーズンからジュニアクラスに上がり、ISUジュニアグランプリ (JGP)では初参戦ながらJGPファイナルに駒を進めた。JGPSBC杯のフリースケーティング(フリー)では6種類の3回転ジャンプに挑んだが、3回転アクセルが両足着氷となり、成功しなかった。3回転アクセルには世界ジュニア選手権半月前の練習中に回転不足ながら片足での着氷に成功し、同選手権の公式練習中に回りきって着氷[15]する。
2000-2001シーズンはJGPで2戦続けて優勝し、全日本ジュニア選手権でも初優勝する。JGPファイナルと世界ジュニア選手権でもそれぞれ上位に食い込む活躍を見せた。2001-2002シーズンの世界ジュニア選手権では銀メダルを獲得[16]する。
シニアクラス
2002-2003シーズンからISUグランプリシリーズに参戦するにあたり、ショートプログラム (SP) に3回転アクセルを、フリーには単独の3回転アクセル、3回転アクセル-2回転トウループ、3回転フリップ-3回転トウループ、3回転ルッツ-3回転ループを跳ぶ攻撃的なプログラム構成を予定して競技会に臨んだ[17]。シーズン初戦の中部ブロック大会で3回転アクセルに成功すると、続くスケートアメリカではISU公認記録としては伊藤みどり、トーニャ・ハーディングに次いで3人目となる3回転アクセルに成功[18][19][20]。さらに西日本選手権と全日本選手権では、3回転アクセル-2回転トウループにも成功した。冬季アジア大会と四大陸選手権ではそれぞれ3位となり、荒川静香・村主章枝とともに日本人選手で表彰台を独占した。
2003-2004シーズンは中野にとって辛いシーズンとなった。初めて新採点方式のもとで行われたスケートアメリカでは3回転アクセルが回転不足と判定された。旧採点においては回転不足であっても大技に挑戦することで一定の評価を受けたが、新採点方式では大きく減点されてしまうため、得点が伸び悩んだ。そのため、次の試合からは3回転アクセルを回避した[21]。2003年夏からジェイソン・ダンジェンにペア転向の誘いを受け、シーズンオフには本格的な検討がなされた。2004年3月には佐藤有香の紹介でジェレミー・アレンのトライアウトを受けた、アン・パトリス・マクドノーやナオミ・ナリ・ナムといった他の候補者を押しのける形でチーム結成を依頼された。迷いながらもシングルでの競技続行を決めた[22]。
2004-2005シーズン、早稲田大学の人間科学部eスクール(通信教育課程)に進学し、上京。練習拠点も横浜に移し、佐藤信夫に師事する[1]。
2005-2006シーズン、東京ブロック大会で、国内競技会では初となる新採点方式のもとでの6種類の3回転ジャンプに成功。スケートカナダでは新採点システムの下で初めて3回転アクセルに成功し表彰台に載った。怪我により欠場の太田由希奈に替わって出場したNHK杯でGPシリーズ初優勝。GPファイナルでも初出場ながら3位に入る。しかし、全日本選手権で5位にとどまり、トリノオリンピック出場はかなわなかった。四大陸選手権では銀メダルを獲得。世界選手権では3回転アクセルを回避し、5位に入った。
2006-2007シーズン、GPシリーズでは獲得ポイント6位タイながら総得点差でGPファイナル進出を逃した。全日本選手権では初めて表彰台に上がる3位となった。日本学生氷上競技選手権大会で3連覇を達成し、冬季アジア大会では村主章枝を逆転し、初優勝。東京開催の世界選手権では開会式で選手宣誓を行い、競技でも2年連続の5位に入った。
2007-2008シーズン、東京ブロック大会で3回転サルコウ-3回転ループに挑み(回転不足)[23]、3回転アクセルにも成功し、4連覇を達成。その後もスケートカナダ、ロシア杯、GPファイナルと立て続けに3回転アクセルを決めた。全日本選手権は2年連続して3位に。3年連続の代表となった世界選手権ではSP3位と好スタートを切り、最終滑走者として臨んだフリーでは、3回転アクセルが回転不足になったもののスタンディングオベーションを浴びる好演技を見せ[24][25][26]、4位となった。
2008-2009シーズン、GPシリーズスケートアメリカ、NHK杯では3回転アクセルを回避した。GPファイナルでは3回転アクセルに挑んだものの回転不足となり、その後もジャンプにミスがあって5位にとどまった。全日本選手権はSPで首位に立ったものの、フリーでジャンプのミスが続き5位に沈み、四大陸選手権、世界選手権いずれの代表にも選ばれなかった。その後、ユニバーシアードで優勝し、シーズンを締めくくった。
2009-2010シーズン、ジャパンオープンで3回転アクセルに挑んだが転倒し、左肩を亜脱臼する。肩が完治していない状態で臨んだGPシリーズエリック杯では3位と健闘したが、NHK杯では4位に留まり、GPファイナルへの出場を逃す。全日本選手権ではSPで2位と好スタートを切ったが、フリーは序盤の3回転ルッツが回転不足での着氷ミスや、他ジャンプにも高得点が取れなかった事などが響いて、2位の鈴木明子に僅か0.17点及ばず総合3位に終わる。結果4年前のトリノ五輪に続いて、念願であったバンクーバーオリンピックの代表に選出されなかった。
四大陸選手権と世界選手権の代表に選出されていたが、左股関節炎及び左肩亜脱臼の回復が思わしくないため、両大会共に出場を辞退。また2010年バンクーバーオリンピック開催中の2010年2月22日、既に日本スケート連盟へ引退届を提出していた事を、自身の公式サイトで表明した[27]。
引退後
2009年4月にフジテレビの内々定を受け、現役引退後の2010年4月から一般職であるフジテレビ映画事業局の「映画製作部」に勤務[28][29][30][31]する。2011年9月公開の『アンフェア the answer』でアシスタントプロデューサーとして名を連ねると共に、焼き肉屋の店員としてカメオ出演する[32]。
2012年3月11日、スケーターとしては2009年12月の全日本選手権以来2年3か月ぶりに、安藤美姫立案によるアイスショー『心を織りなす氷上の世界 〜 Reborn Garden 〜』に出演した。[33]
2012年1月からは『踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望』の制作ブログを担当している[34]。 2012年9月1日放送の『踊る大捜査線 THE LAST TV サラリーマン刑事と最後の難事件』ではアシスタントプロデューサーを務めた。
同10月からスポーツ局に配置され、『すぽると!』のアシスタントディレクターとして活動し、フィギュアスケートのレポーターも担当する。2014年ソチオリンピック開催時は、ニッポン放送[35]の平日午前のワイド番組『垣花正のあなたとハッピー!』に出演し、フィギュアスケート競技各種目のレポート・解説を担当した。
2015年4月21日、「中野友加里応援ブログ」で、一般男性との結婚を報告[36]し、10月18日に披露宴を催した[37]。2016年8月9日に第1子となる長男[38]、2018年2月に第2子となる長女[39]、それぞれを出産した。
2018年4月時点では産前産後休職中であるが、2月の2018年平昌オリンピックで産経新聞紙上に『チェック・アイ』と題する競技評論を執筆している[39]。引退後にフィギュアスケート競技のB級審判資格(ローカル大会での競技審判業務に就ける)を取得し、今後は全日本選手権の審判が出来るナショナル級(N級)審判資格取得を目指していることを表明している[39]。
2019年3月31日付けでフジテレビを退職[3][4]し、2019年7月1日にアスリート・マーケティング株式会社とマネジメント契約[40]する。
2020年10月30日に、YouTuberとして「フィギュアスケーター中野友加里チャンネル」を登録し、11月1日に配信を始めた[41]。
2021年にA級審判員の資格を取得[42]する。
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主な戦績
2002-2003年シーズン以降
2001-2002年シーズンまで
- N - ノービスクラス
詳細
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プログラム
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表彰歴
- 文部科学省・国際競技大会優秀者表彰(2007年、2009年)
書籍
- トップスケーターの流儀 中野友加里が聞く9人のリアルストーリー(双葉社、2013年12月11日)ISBN 978-4575305937
- トップスケーターのすごさがわかるフィギュアスケート(ポプラ社、2017年9月8日)ISBN 978-4591155837
- フィギュアスケート ジャンプ完全レッスン 動画で技術と魅せ方に差がつく-コツがわかる本!-(本人監修・無良崇人協力・技術モデル メイツ出版、2021年1月30日)ISBN 978-4780424263
- フィギュアスケート スピン完全レッスン 動画で技術と魅せ方に差がつく-コツがわかる本!-(本人監修・今井遥協力・技術モデル メイツ出版、2021年11月30日)ISBN 978-4780425505
外部リンク
- 国際スケート連盟による中野友加里のバイオグラフィー
- 日本スケート連盟によるプロフィール
- フィギュアスケーター中野友加里チャンネル - YouTubeチャンネル
- 早稲田スポーツ - フィギュア中野、氷上から退く
- 中野友加里インタビュー 自分流トレーニングの極意 (前編) - スポーツニッポン
- 中野友加里インタビュー 自分流トレーニングの極意 (後編) - スポーツニッポン
出典
Wikiwand - on
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