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今帰仁村
沖縄県国頭郡の村 ウィキペディアから
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地理
沖縄本島の本部半島のほぼ北半分に位置する。北東部には1.5km離れた古宇利島があり、2005年に名護市の屋我地島と橋で結ばれた。2010年には屋我地島と村内側の本島とを結ぶワルミ大橋が開通した。古宇利大橋の開通後、ワルミ大橋の開通までは、古宇利島から村役場のある仲宗根に向かうには一旦名護市を経由して羽地内海を迂回しなければならなかった。
字一覧
元は村制前の16村を引き継いだ16字を置いていたが、分割・合併の結果、現在は19字を数える。
- 天底(あめそこ)
- 運天(うんてん)
- 兼次(かねし)
- 上運天(かみうんてん)
- 古宇利(こうり)
- 崎山(さきやま)
- 謝名(じゃな)
- 諸志(しょし)
- 勢理客(せりきゃく)
- 玉城(たましろ)
- 仲尾次(なかおじ)
- 仲宗根(なかそね)
- 平敷(へしき)
- 与那嶺(よなみね)
- 湧川(わくがわ)
- 今泊(いまどまり) : 1945年に今帰仁(なきじん)と親泊(おやどまり)に分割されたが、1972年に再合併した。
以下は戦後になって新設された字である。
- 越地(こえち):平敷・謝名・仲宗根の各一部
- 呉我山(ごがやま):玉城・天底・湧川の各一部
- 渡喜仁(ときじん):仲宗根・勢理客・運天の各一部
隣接している自治体
人口
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今帰仁村と全国の年齢別人口分布(2005年) | 今帰仁村の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 今帰仁村
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
今帰仁村(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
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歴史

- 琉球王朝時代は北山(沖縄本島北部)の中心地が今帰仁城に置かれた
- 1666年 本部半島全域だった今帰仁間切が南半分分割され本部間切となる。
- 1908年 島嶼町村制により今帰仁村となる
- 1916年 役場が運天港から現在の仲宗根に移る
- 1969年 沖縄本島初のUHFテレビ中継局として沖縄放送協会(OHK・現NHK沖縄放送局総合テレビ)の今帰仁中継局が乙羽岳に設置され、北部地区をカバーすることになった。
- (本土復帰の1972年には教育テレビ、1974年にはFM放送がそれぞれ県内での放送開始と同時に設置。民放は1981年にようやくRBCテレビとOTVが設置。1984年にはFM沖縄が、1995年にはQABがそれぞれ開局と同時に設置された2007年には地上デジタル放送も開始された)。
- 1988年 これまで本部港から就航していた伊是名航路が運天港発着に変更された(1990年には伊平屋航路も運天港に変更された)。
- 1993年 村内を通る主要地方道本部循環線(当時県道71号)が国道505号に昇格、村内初の国道となる。
- 2002年 今帰仁城址が世界遺産に登録される(首里城などと同時に)
- 2003年 村内の中学校(一部小学校併置校も含む)が生徒数減少に伴い1校に統合され、現在の今帰仁村立今帰仁中学校が開校
- 2005年 古宇利島と名護市の屋我地島とを結ぶ古宇利大橋が開通。島民にとっては念願の本島との陸続きとなった。
- 2010年 ワルミ大橋が開通。
- 2023年1月 - 新村役場庁舎の運用開始[1]。
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行政
- 村長:久田 浩也
- 副村長:比嘉 克雄
- 教育長:玉城 奎
歴代村長
特記なき場合『今帰仁村 村勢要覧(2021年一部改訂版)』による[2]。
村政における不祥事
経済
今帰仁村に本社を置く主要企業
金融機関
市場
- 今帰仁家畜セリ市場
姉妹都市・提携都市
教育
小学校
- 今帰仁村立天底小学校
- 今帰仁村立今帰仁小学校
- 今帰仁村立兼次小学校
中学校
- 今帰仁村立今帰仁中学校(かつては小学校併置校も含め4校あったが生徒数減少で2003年に統合された)
高等学校
社会教育
- 総合型地域スポーツクラブなきじん - 沖縄県内で創設が早いクラブであり、他府県の総合型地域スポーツクラブとの交流も多い
交通
道路
- 国道505号 - 本部循環線の一部で村内を横断するように通っている。
- 沖縄県道72号名護運天港線(主要地方道)
- 沖縄県道115号線
- 沖縄県道123号線
- 沖縄県道247号古宇利屋我地線 - 古宇利島と名護市の屋我地島とを結んでいる。
- 沖縄県道248号屋我地仲宗根線 - 今帰仁村のうち沖縄本島にある地域と屋我地島とを結んでいる。
路線バス
名護市中心部の名護バスターミナルを起点に村内で国道505号を通り本部半島を一周して名護バスターミナルに戻る琉球バス交通・沖縄バス(共同運行)の65番・66番系統と、沖縄自動車道・沖縄美ら海水族館を経由して那覇市・浦添市と村内の主要地域・運天港を結ぶやんばる急行バスがあり那覇市・沖縄市など主要都市から名護バスターミナルでバスを乗り継ぎ今帰仁村へ行くこともできる。村の中心街は村中央部の仲宗根・今帰仁村役場前バス停付近である。また同じくやんばる急行バスが運行する、本部町の瀬底島を起点とし村内・名護市の屋我地島を通り、古宇利島を結ぶ四島線が運行されている。
太字は今帰仁村内の経由地。
港湾
医療
- ランデブーポイント[6] 9箇所
※民間救急ヘリコプターMESH のヘリポートとして使用
名所・旧跡・観光
- 古宇利島
- 今帰仁城跡(琉球王国のグスク及び関連遺産群)
- 乙羽岳(頂上付近に今帰仁テレビ・FM中継局があり、沖縄本島北部地域及び与論島・沖永良部島などの奄美群島の一部地域をカバーしている)
- 本部半島カルスト地域
- ダチョウらんど
今帰仁村出身の有名人
- 目取真俊 - 小説家
- 小那覇舞天 - 芸人
- 霜多正次 - 小説家
- セロ - マジシャン(父親が同村出身で彼本人も一時少年時代を今帰仁で過ごす)
- 嘉陽宗嗣 - プロボクサー、元東洋太平洋ライトフライ級チャンピオン(白井・具志堅ボクシングジム)
- 喜屋武綾乃 - 歌手
- 宮里政玄 - 琉球大学名誉教授(アメリカ外交史、日米関係)
- 仲宗根政善 - 方言学者
- 北山亭メンソーレ - 元落語立川流、立川メンソーレ
- 大城常夫 - 琉球大学法文学部教授(経済学)
- 上原豊充 - 沖縄県保険社会労務士会 会長
- 中村昇 - 地質学者
- ロボットのぞみ - 大道芸人
- 渡嘉敷綏宝 - 元琉球大学農学部教授
- 金城博和 - 元プロ野球選手
- 平良拳太郎 - プロ野球選手
脚注・出典
外部リンク
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