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日本ハンドボール選手権大会
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日本ハンドボール選手権大会(にほんハンドボールせんしゅけんたいかい)は、日本ハンドボール協会が主催するハンドボールの全国大会である。
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概要
日本ハンドボールリーグを始めとする実業団・学生などが集い、男子16チーム、女子12チームが参加。F1レースのノックアウト方式を取り入れた選抜方法により日本一が決定される。大会名が変更された第67回大会からは男子24チーム、女子20チームに拡張される。
開催地は持ち回りで、男女合同開催となるが、年度によっては別日程・別会場となる場合もある。
出場枠
- 2018年実績
歴史
1937年に「全日本選手権兼明治神宮体育大会」として第1回が東京体育研究所球技場で開催され[1]、第4回(1942年)まで行われたが、戦争によって中断。戦後の1946年から日本ハンドボール協会が全国大会の開催を希望していたが、国内情勢・地方協会の復興状況に問題があったことや、ハンドボールが国民体育大会(国体)の種目に採用されたこともあり、開催は見送られていた[1]。
1950年2月に「第1回全日本総合選手権」が愛知県一宮市で開催。同年10月に一宮市で国体が行われることや、東京に専用グラウンドがないこと、大阪府は同年8月に全国高校選手権の開催地だったことから、一宮市が開催地に選ばれた[1]。
1950年12月に行われた第2回大会から国際ハンドボール連盟(IHF)が規定した新ルール(1947年改正)を適用し、オフサイド・ラインが全廃された[2]。同大会の女子は全山梨と東京オールド・ガールズクラブ(東京OG)の2チームのみの参加となった[2]。当時の女子ハンドボールは高校・高等女学校卒業後にクラブチームへ加入する選手は少なく、日本ハンドボール協会も「男子部門の充実」を議題としていたため、1952年の第4回大会では参加チームがおらず、男子のみ開催された[2]。
1953年の第5回大会から女子が復活し、7チームが参加。1954年の第6回大会から翌年の国体開催地で行うことが決まった[3]。第6回女子で優勝した半田高校の主力5人が高校卒業後に愛知紡績へ入社し、女子6連覇を達成することとなる[4]。
1957年の第9回大会からゴールエリアやフリースローラインなどの長さが変更され、35メートルラインを設定。女子は11人制を廃止し、7人制一本化となった[4]。
1958年の第10回大会では、男子に初の実業団(住友化学菊本、宇部曹達)が参加[4]。
1971年の第23回大会から国体開催地での実施が廃止され、東京体育館で実施することが決まり、開催時期も冬季開催へ変更。またトーナメント方式から、予選トーナメント・決勝リーグによって優勝を決める方式となった[5]。
歴代決勝記録
戦前
戦後
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個人賞
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放送について
脚注
関連項目
外部リンク
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