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坂田大輔
日本のサッカー選手 ウィキペディアから
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坂田 大輔(さかた だいすけ、1983年1月16日 - )は、神奈川県横浜市港南区出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはフォワード、ミッドフィールダー。元日本代表。
日本サッカー協会公認A級ライセンス所持。日本サッカー協会登録仲介人。
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経歴
幼稚園年長の時にサッカーを始める[1]。中学校進学と共に横浜フリューゲルスの下部組織に加入したが、クラブが横浜マリノスと合併したことに伴い[1][2]、横浜F・マリノスユースに所属することとなった[注 1]。2000年にクラブユース選手権で優勝[1]。
2001年にユースからトップチームに昇格し、同年6月16日FC東京戦(横浜国際)でJリーグ初出場[4]。同8月18日柏レイソル戦(柏の葉)でJリーグ初得点を記録した[4]。
2003年、U-20日本代表としてFIFAワールドユースに参加。大熊清監督の下でスーパーサブとして起用され[4][5] 4得点を挙げてSilver Shoe(得点王)に輝いた[注 2]ものの、準々決勝のブラジル戦で対峙したDFダニエウ・アウヴェスらには歯が立たず、個人の力量差を痛感[4]。海外リーグでのプレーを考えるようになった[4][6]。
2003年・2004年には横浜FMのレギュラーFWとして、Jリーグ連覇に貢献[7]。目標としていたリーグ戦での二桁得点も達成し、イタリア・SSラツィオへの移籍交渉を進めていたが、負傷により立ち消えとなった[7]。以後、横浜FMでの出場機会を減らしつつあったが、坂田のスピードと献身的守備への評価は高く[8]、2006年にはイビチャ・オシムが率いるA代表に初招集。同年8月9日のトリニダード・トバゴ戦にて国際Aマッチ初出場を記録した[2]。2008年オフには神戸から獲得オファーを受けたが[9]、違約金提示額の隔たりが埋まらず[10] 残留。2010年オフに横浜FMから戦力外通告を受け退団[2]。
2011年1月、ギリシャ・スーパーリーグ・アリス・テッサロニキへ移籍[11][12]。主にミッドフィールダー(サイドハーフ)でプレー[8]。UEFA ELを経験するなど手応えも掴んだが[8]、クラブは深刻な財政難に陥っており、半年での退団を余儀なくされた[13]。
2011年8月、かつてワールドユースで指揮を執っていた大熊に高く評価され[13]、大熊が監督を務めるFC東京へ完全移籍[14]。相手DFの裏(背後)を突くFW[注 3]として起用された。
2012年、アビスパ福岡へ完全移籍[16][17]。同年の開幕戦熊本戦で早速得点を挙げ、FWに猛烈なプレスを要求する戦術にも適応[18]。プロ入り以来初となるゲームキャプテンを務め[19]、チームの大黒柱として奮闘を続けた[20]。
2017シーズンをもって福岡との契約が満了となる。現役続行を希望し移籍先を探すもののまとまらず、2018年3月15日に現役引退を発表。「17年間大きな怪我もなくプロの世界で戦えた自分を誇りに思いたい」とコメントした[21][22]。 4月1日の栃木SC戦の試合後に引退セレモニーが行われた。
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エピソード
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- 前線からの守備も特徴の一つであり、アジアユース2002(カタール)の試合中に大熊清監督が「サンキュー坂田! サンキューな」と坂田の守備を讃えた一声はサッカーファンの間で話題となった[7][13]。
- 小林大悟とは知己の仲。アジアユース2002における坂田のゴールパフォーマンスを2人で考案したり[23]、共に初参加となったA代表の合宿では空き時間を共に過ごしたりしている[24]。ギリシャへの移籍の際も、小林に相談した[6]。
- 佐伯日菜子は2002年に自らのブログで、元夫である奥大介が当時チームメートであった坂田の事を気に入っていたようだと記している[25]。
- 京都の老舗呉服店石勘の男性向け企画「Men's J-mode」のイメージキャラクターを務めている。
- 2009年2月17日、女優・タレントの福岡サヤカと入籍した[26]。
- 愛犬家である。
- ヨーロッパリーグ決勝トーナメント1回戦のファーストレグ、マンチェスター・シティFC戦での相手選手のFWエディン・ジェコを観て「DFもごついんだけど、あいつはすごかった。試合前にピッチ横に並んでスタンバイしているとき、腕や脚の太さを見て、え…と、ほとんどドン引きするほど。」とジェコの巨体に驚いていた[27]。
- 選手引退後は佃ロベルトが代表取締役を務める株式会社スポーツコンサルティングジャパン所属の日本サッカー協会登録仲介人として活動している[28]。
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所属クラブ
- ユース経歴
- 竹の子幼稚園[23]
- 野庭キッカーズ[1] (横浜市立野庭東小学校)[11]
- 1995年 - 1997年 横浜フリューゲルスジュニアユース (横浜市立野庭中学校)[11]
- 1998年 横浜フリューゲルスユース (神奈川県立永谷高等学校)[11]
- 1999年 - 2000年 横浜F・マリノスユース
- プロ経歴
- 2001年 - 2010年
横浜F・マリノス
- 2011年
アリス・テッサロニキ
- 2011年
FC東京
- 2012年 - 2017年
アビスパ福岡
個人成績
その他の公式戦
- 2004年
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
- 2015年
- J1昇格プレーオフ 2試合0得点
その他の国際公式戦
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代表歴
- 2006年8月: 9日国際Aマッチ初出場 (キリンチャレンジカップ) - vs トリニダード・トバゴ代表 (国立)
出場大会など
- U-18日本代表
- 2001年 国際ユースサッカーin新潟
- U-19日本代表
- 2002年 AFCユース選手権2002一次予選、SBSカップ 国際ユースサッカー、AFCユース選手権2002 (準優勝)
- U-20日本代表
- 2003年 トゥーロン国際大会、2003 FIFAワールドユース選手権 (ベスト8)
- U-22日本代表
- 2003年
- U-23日本代表
- 2004年 キリンチャレンジカップ2004、アテネオリンピック最終予選、アテネオリンピック予備登録
- 日本代表
- 2006年 キリンチャレンジカップ2006[30]、AFCアジアカップ2007 (予選)[31]
試合数
- 国際Aマッチ 1試合 0得点 (2006年)
出場
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獲得タイトル
- 2000年 日本クラブユース選手権 MVP
- 2003年 2003 FIFAワールドユース選手権 Silver Shoe(得点王)
- 2007年 Jリーグ フェアプレー個人賞[32]
- 2018年 Jリーグ功労選手賞
脚注
関連項目
外部リンク
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