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椎木匠
日本のプロ野球選手 (1971-) ウィキペディアから
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椎木 匠(しいぎ たくみ、1971年7月25日 - )は、山口県徳山市(現:周南市)[1]出身の元プロ野球選手(捕手、右投左打)、野球指導者。
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来歴・人物
中学時代は投手で山口県大会で優勝している[1]。
南陽工業高校では2年間は内野手で出場し、3年の時に捕手へ転向する[1]。1989年春季県大会決勝に進むが、桜ケ丘高に延長10回サヨナラ負け。
同年オフにドラフト外で中日ドラゴンズに入団[1]。1995年に一軍に上がり、中村武志の控えではあるが、11試合に先発マスクを被る。1997年オフに無償トレードで千葉ロッテマリーンズへ移籍[1]。1998年には吉鶴憲治、清水将海と正捕手を争い、23試合に先発出場。その後も一軍で起用されるが、打撃面の弱さもあってレギュラーには届かなかった。
2002年オフに垣内哲也との交換トレードで西武ライオンズへ移籍[2]。西武移籍1年目の2003年3月6日には福岡ダイエーホークスとのオープン戦(福岡ドーム)にて本塁に突入してきた小久保裕紀と交錯し[3]、結果的に小久保は同シーズンを全休する重傷を負った。西武移籍後は主に二軍(イースタン・リーグ)での出場に留まり、2006年シーズン終了後に戦力外通告を受け現役を引退。
引退後は2007年 - 2013年まで西武のブルペン捕手を務め、その後はイオンモール幕張新都心店内のスポーツ用品店に野球用品のアドバイザーとして勤務。
2016年から、社会人野球のセガサミーでバッテリーコーチを務めた。その後は野球指導の「東都クラブジュニアアカデミー」(市川市)校長となる。
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詳細情報
年度別打撃成績
年度別守備成績
記録
背番号
- 66 (1990年 - 1997年)
- 50 (1998年 - 2002年)
- 55 (2003年 - 2006年、2016年 - )
- 90 (2007年 - 2013年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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