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大野守

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大野 守(おおの まもる、1940年12月22日 - )は、徳島県那賀郡見能林村[1]出身の元プロ野球選手内野手)。

概要 基本情報, 国籍 ...

経歴

徳島県立徳島商業高等学校では一塁手として同期のエース板東英二を擁し活躍。1957年の秋季四国大会は1回戦で坂出商に敗退。翌1958年春季四国大会は1回戦(準決勝)で高知商と対戦。互いに1点を取り合い、高知商は森光正吉山崎武昭の継投、徳島商は板東が投げ抜き、延長16回2-1でサヨナラ勝ち。翌々日の決勝は石川陽造岡村浩二のバッテリーを擁する高松商と対戦。石川、板東が互いに無失点で延長25回に進むが、最後は岡村の適時打などで0-2と敗退。

同年夏は県予選決勝で撫養高を降し、夏の甲子園に出場。2回戦(初戦)でエース石戸四六を擁する秋田商に完封勝ち。3回戦も八女高を破り準々決勝に進出。魚津高との準々決勝は、板東と村椿輝雄の投手戦となり延長18回0-0で終了(魚津対徳島商延長18回引き分け再試合に詳述)。翌日の再試合は3-1で勝利、準決勝も作新学院を降す。決勝は柳井高の技巧派エース友歳克彦(法大日本石油)に0-7で完封負けを喫し、準優勝にとどまった[2]。同年の富山国体にも出場、準々決勝で清水東高の山田茂利(明大日本鋼管)、鈴木悳夫のバッテリーに抑えられ完封負け。板東以外の高校同期に左翼手広野翼、1年下に遊撃手大坂雅彦がいた。

高校卒業後は、社会人野球日本鉱業日立に入社、1959年都市対抗に出場。

1960年近鉄バファローへ入団[1]1961年には開幕から一軍で起用され、一塁手として20試合に先発出場を果たす。しかし打撃面で結果を残せず同年限りで現役を引退。

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詳細情報

年度別打撃成績

さらに見る 年 度, 球団 ...

背番号

  • 38 (1960年 - 1961年)

脚注

関連項目

外部リンク

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