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宝香鵬宏作
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宝香鵬 宏作(ほうかほう こうさく、1989年6月21日 - )は、埼玉県春日部市出身で、宮城野部屋に所属した元大相撲力士。本名は藤田 宏作(ふじた こうさく)。身長186.5cm、体重160.0kg、血液型はO型[1]。自己最高位は西幕下3枚目(2021年9月場所・11月場所)。
この記事の主題はウィキペディアにおける人物の特筆性の基準を満たしていないおそれがあります。 (2012年8月) |
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来歴
埼玉栄高校ではレスリング部に所属。大相撲2006年5月場所を父親と共に両国国技館で観戦し、その帰りに両国散策をしていたところ、当時大関であった白鵬からスカウトを受けた[2]。これを受け、親孝行をするために高校を2年で中退して白鵬の所属する宮城野部屋(元十両・金親)に入門、2007年3月場所で初土俵を踏む。初土俵時の四股名は「宝香山」。同期生には幕下付出入門の大翔湖や、土佐豊、德真鵬、千代嵐、丹蔵、琴恵光、朝弁慶らがいる。
この初土俵場所は前相撲で2連勝、1番出世とし、大関白鵬の化粧回しを借りて新序出世披露を受けた。
序ノ口・序二段をいずれも2場所で通過し(これは白鵬より早いペースである)、2008年1月場所で三段目につくが、ここからしばらくは三段目と序二段の往復が続いた。2009年11月場所以降三段目に定着、2010年7月場所からは「宝香鵬」に改名し、その場所は6勝1敗の好成績だった。2011年11月場所では三段目で初めて無傷の勝ち越しを決める。5番相撲で佐久間山(現・常幸龍)に敗れるも、残りを快勝して6勝1敗の好成績として場所を終え、翌2012年1月場所からは幕下に昇格・定着している。2013年3月場所で、関取昇進の可能性があるといわれる幕下15枚目以内の番付に初昇格。2018年8月25日には夏巡業春日部場所にご当地力士として参加。春日部市で巡業が行われるのは史上初である[3]。
2021年9月場所は勝ち越せば関取昇進が見える西幕下3枚目の地位が与えられたが、部屋の北青鵬が新型コロナウイルスに感染したため感染拡大防止のために全休の措置を受けた。救済措置により11月場所は番付据え置きとなったが、7日目の4番相撲で負け越しが確定。しかし残りを勝って3勝4敗と踏みとどまった。2023年1月28日に開催された白鵬の引退相撲では弓取式を務めた。同年9月場所2日目の1番相撲では欧勝竜と水入りの相撲となった(2番後取り直しの際に欧勝竜が寄り切りで白星)[4]。
2024年3月場所は膝の怪我により初日から休場となっていたが、「宮城野部屋として最後になるかもしれない」として7番目だけ強行出場し、日向龍から白星を挙げた[5]。この一番が現役最後の取組となった[5]。同年3月28日、日本相撲協会の理事会で宮城野部屋は同年4月以降無期限で伊勢ヶ濱一門預かりとなり、宮城野部屋に所属する全員が同一門の伊勢ヶ濱部屋に転籍することを決定した[6]。しかし、宮城野部屋の閉鎖騒動のショックは大きく、伊勢ヶ濱部屋所属となった5月場所は全休し、場所後に引退が発表された[5]。連続幕下在位記録歴代3位(74場所)の記録を残している。
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人物
- 部屋公式ホームページによると、好物はカレーライス、趣味は音楽鑑賞・読書。好きな言葉・座右の銘は「燃える闘魂」
- 幕下にいながら後に大関や三役、幕内優勝を果たす当時幕下の有望出世力士達を次々と豪快に土俵に叩きつけ勝つ様から「最強の幕下力士」「伝説の幕下」と言われた。
- 部屋の横綱白鵬の稽古相手を長年務めながら付け人として様々な役割をこなし、周囲への誠実な立ち回りから白鵬からの信頼は絶大であった。
- 引退する最後まで白鵬の1番弟子として師匠を変えることはできないと信念を貫き、部屋の閉鎖のタイミングと同時に相撲協会に引退届けを提出した。
略歴
主な成績
- 通算成績:360勝321敗27休(102場所)
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改名歴
- 宝香山 宏作(ほうかざん こうさく)2007年3月場所 - 2010年5月場所
- 宝香鵬 翔風(ほうかほう しょうふう)2010年7月場所 - 2016年7月場所
- 宝香鵬 宏作(ほうかほう こうさく)2016年9月場所 - 2024年5月場所
脚注
関連項目
外部リンク
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