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小針清允
日本のサッカー選手 ウィキペディアから
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小針 清允(こばり きよみつ、1977年6月12日 - )は、東京都板橋区出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時のポジションはGK。
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髪型は長らくドレッドヘアーにしている。
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来歴
1996年にヴェルディ川崎に入団するものの、菊池新吉と1997年にG大阪から加入した本並健治という2人の実力者の前に出場機会に恵まれず、2001年にヴィッセル神戸、2002年からベガルタ仙台に期限付き移籍(2005年に完全移籍)。ベガルタ移籍1年目からそれまで正GKだった高橋範夫を抑えてレギュラーを掴む。2年目は鹿島から移籍してきた高桑大二朗との正GK争いとなったが、チームの記録的連敗中に高桑から定位置を奪取。連敗を止めた金沢でのG大阪戦は今でも仙台サポーターの語り草となっている[要出典]。
J2に降格した2004年から再び高桑にレギュラーを奪われたが、2006年の第27節東京V戦で高桑が相手GK高木義成のゴールキックをキャッチできずゴールを許した試合以降は再びレギュラーの座に就いた。2007年はキャンプ中に左足首を故障し、鳥栖から移籍してきたシュナイダー潤之介にレギュラーを奪われた。シュナイダーが負傷離脱すると札幌から林卓人を期限付き移籍で獲得。以後林が正GKとなり、その年のシーズンオフに戦力外通告を受ける。
その後、2008年に原裕晃のあとがまとして当時JFLの栃木SCに移籍。監督の柱谷幸一から「チームの背骨となる選手」の一人として名をあげられ[要出典]、正GKとしてJリーグ経験者であった実力を遺憾なく発揮した。全試合に先発フル出場してベストイレブンにも選ばれ、その年のJ2昇格に貢献した。2009年も引き続いて正GKとなるが、チーム自体の守備が安定しない事もあり、なかなか勝利に貢献できなかった。また、若返りを図るチーム方針もあって終盤戦は柴崎邦博がレギュラーに定着。出場機会が激減し、シーズン終了後に戦力外通告を受ける。
2010年にガイナーレ鳥取に完全移籍。すぐさまレギュラーに定着すると、公式戦全試合先発フル出場し、チームのJFL優勝と自身2度目のJ2昇格に貢献した。その後もレギュラーで試合出場を続けてきたが2014年シーズン終了後、契約満了により鳥取を退団[1]。
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所属クラブ
個人成績
- Jリーグ初出場 - 1997年5月24日 名古屋グランパスエイト戦
個人タイトル
- 日本フットボールリーグベストイレブン (2008年、2010年)
代表歴
- U-17、U-18日本代表 (1993-1995)
- 1993年 FIFA U-17選手権 日本大会 (ベスト8)
- U-20、U-22日本代表 (1997-1999)
- 1997年 FIFAワールドユース マレーシア大会 (ベスト8)
- 1999年 シドニーオリンピック アジア地区1次予選
- U-23サッカー日本代表候補(2000)
指導歴
脚注
関連項目
外部リンク
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