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山下健
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山下 健(やました たけし、1931年8月6日 - 2006年11月26日[要出典][1])は、香川県高松市出身のプロ野球選手(捕手)。右投右打。
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経歴
高松一高では1949年に捕手として春夏の甲子園に出場。春の選抜では準々決勝で小倉高に敗退[2]。夏の選手権は準決勝に進むが、佐々木信也のいた湘南高に延長10回サヨナラ負けを喫する[3]。1年下のチームメートに二塁手の玉木春雄(西鉄)、2年下に三塁手の中西太、控え内野手の松岡雅俊がいた。
強肩・強打の捕手として注目され2リーグ制が始まった1950年に阪急ブレーブスに入団。チームの主力選手はセ・リーグ球団に大量に引き抜かれており、中でも捕手不足だったため1年目からレギュラーとして出場(開幕戦は急病で欠場したため、阪急は捕手経験がない内野手の明石武が急遽捕手をすることになった)、規定打席(44位、打率.180)にも達する。1953年には、移籍入団の伊勢川真澄に定位置を奪われるが、翌年には復活。後に入団した梶本隆夫、米田哲也らとバッテリーを組み低迷期の阪急を支えた。1963年には岡村浩二にポジションを譲り、1964年にコーチ兼任。1965年限りで現役引退。
引退後は阪急で二軍バッテリーコーチ(1966年 - 1970年)を務めた[4]。2006年に死去[1]。75歳没[1]。
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詳細情報
年度別打撃成績
- 各年度の太字はリーグ最高
記録
- 節目の記録
- 1000試合出場:1960年10月9日 ※史上55人目
- その他の記録
背番号
- 3 (1950年 - 1965年)
- 64 (1966年 - 1970年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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