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山田卓也

日本のサッカー選手 ウィキペディアから

山田卓也
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山田 卓也(やまだ たくや、1974年8月24日 - )は、東京都世田谷区出身の元サッカー選手。ポジションはDF(右サイドバック)、MFボランチ、右ウイングバック)。

概要 山田 卓也, 名前 ...
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略歴

要約
視点

東京ヴェルディ在籍時はチームキャプテンを務めた。また、2003年12月7日の東アジアサッカー選手権2003香港代表戦で日本代表として初出場した[2]

2005年に東京VのJ2降格が決定後も、山田は東京Vに残ることを前提に、他クラブからのオファーがあれば評価は聞いてみたいというスタンスであった事を本人ブログにて表明、結果的に2006年セレッソ大阪へ移籍。

C大阪では、塚田雄二監督(当時)の信頼を獲得し、リーグ前半では主にボランチで視野の広さを生かしたゲーム・メイクを披露。だがクラブは低迷し、山田自身の長期離脱もあり、結局J2へ降格。シーズン終了後に退団。その後、オーストラリアアデレード・ユナイテッドFCや、平野孝メジャーリーグサッカーニューイングランド・レボリューションの練習へ参加。

2007年6月横浜FCへの入団が正式に決まった。トレードマークの長髪を刈り切ってのスタートであった。主に右サイドバックでスタメン起用されたが、2007年に横浜FCも降格し、山田の所属したクラブは3年連続で降格することになった。

2008年限りで横浜FCを退団し、2009年1月20日サガン鳥栖への完全移籍が発表された。

鳥栖では、若手選手主体のチームにおいて、その豊富な経験や知識をチームに伝えるなど、リーグ戦を通して出場し、チームの顔としてクラブを牽引。ただ、山田をクラブに引っ張った岸野靖之の監督退任と共に、鳥栖を山田も去ることとなった。

2010年、アメリカのUSSF D2へ新規加入をするFCタンパベイのトライアウトへ参加し、ボランチでのプレーぶりを監督のポール・ダルグリッシュ英語版が高評価し、契約となった。クラブのプレスリリースも日本を代表するスター選手の加入と大きな期待を見せた[3]。シーズン途中には、日本人として初めて共同キャプテンに任命され、キャプテンマークを巻いてチームを牽引する。

2011年、USSF D2が北米サッカーリーグ(NASL)として再発足。

2012年、レギュラーシーズンでリーグ唯一の全28試合全時間出場(2520分)を記録。北米サッカーリーグ年間ベスト11に選出され、[4]、リーグ優勝も見事に果たした。

2013年、レギュラーシーズン22試合に出場し、ローディーズ及びアメリカで100試合出場を達成する[5]

2014年、クラブ創設以来唯一ローディーズでプレーを続ける選手となる[6]

2015年7月、元日本代表監督の岡田武史がオーナーを務める当時四国サッカーリーグ所属のFC今治へ加入[7]

2016年に奈良クラブへ完全移籍により加入した[1]が、同シーズン終了後に退団[8]

2017年8月、FC今治へ復帰[9]。同年11月に現役引退が発表された[10]

2018年よりナイキ・ジャパンに就職し、スポーツマーケティング・フットボールマネジャーに就任。

2021年、ナイキ・ジャパン退社後、米フロリダ州タンパにあるサッカークラブ、Chargers Soccer ClubのU13/U16コーチに就任[11]。同時に、米ニューヨークに本社を置くスポーツビジネス会社であるBlue United Corporationの特別顧問[12]及び、同社のプロeスポーツチームのゼネラルマネジャーにも就任[13]

2022年より、Pacific Rim Cupの特別コーチにも就任[14][15]

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所属クラブ

個人成績

さらに見る 国内大会個人成績, 年度 ...

その他の公式戦

代表歴

出場大会など

試合数

  • 国際Aマッチ 4試合 0得点(2003年 - 2004年)
さらに見る 日本代表, 国際Aマッチ ...

出場

さらに見る No., 開催日 ...
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脚注

  1. 200年まではヴェルディ川崎
  2. 2011年まではFCタンパベイ

出典

関連項目

外部リンク

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