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岩﨑達郎
日本の野球選手 ウィキペディアから
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岩﨑 達郎(いわさき たつろう、1984年12月28日 - )は、神奈川県横浜市瀬谷区出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。右投右打。
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経歴
要約
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プロ入り前
横浜商科大学高等学校から社会人野球の新日本石油ENEOSへ進み第76回都市対抗野球大会に補強選手で出場[1]。田澤純一は高校、社会人の2年後輩。
二塁手・遊撃手の守備を評価され、2006年の大学・社会人ドラフトで中日ドラゴンズに5巡目で指名された。プロ入り以降は守備の人のイメージが強いが、高校通算41本塁打を記録している。
第1次中日時代

2007年は、レギュラーシーズンでは一軍昇格は無かったものの、正遊撃手の井端弘和がシリーズ前にケガをし、状態に不安があるため、バックアップとしてクライマックスシリーズ第1ステージを前にした10月13日に、初の一軍昇格を果たした。10月18日の同クライマックスシリーズ第2ステージ第1戦(読売ジャイアンツ戦)の8回に新井良太の代走として一軍戦初出場し、初得点も記録している。
2008年は開幕を二軍で迎えたが、6月17日に井端弘和の故障によりシーズン初の一軍登録。その後井端の復帰で登録抹消されたが、8月に荒木雅博が北京五輪へ出場するために再び一軍昇格。荒木のチーム合流で抹消されるも井端が再び怪我をしたためわずか5日で再び一軍に昇格した[2]。その後、井端の復帰で再び抹消されるもシーズン終盤に再び一軍登録されて一軍と二軍を4度も往復した。
2009年から2012年まで春季キャンプでは井端が目の異常で離脱した影響もあり、監督の落合博満から直々にノックを受けた。オープン戦では遊撃手や二塁手として出場し、適時打を放つなど課題である打撃面でも着実に成長が見られ、初の開幕一軍入りを果たす。
2010年9月1日の広島東洋カープ戦(ナゴヤドーム)で大島崇行からプロ入り初本塁打となるサヨナラ2点本塁打を放った[3]。また、このシーズンは開幕から一軍に帯同し続けた。
2011年9月、4歳年下の一般女性と結婚。出場試合数こそ減少したもののスタメン起用が増え、打率も自己最高の.218を記録した。しかしその後離婚。子供の親権は元妻にある。
楽天時代
2013年3月11日、東北楽天ゴールデンイーグルスへの金銭トレードが発表された[4][5]。公式発表の約1週間前にトレードの報道がなされ、中日監督の高木守道や球団社長もそれを認めた[6]ため、楽天監督の星野仙一から「順番が違う」と苦言を呈された[7]。岩﨑本人は楽天からのトレードのオファーをコーチから聞き「勝負したい」と答えるなど移籍に前向きであった[8]。楽天での背番号は「67」に決まった。6月27日の埼玉西武ライオンズ戦(県営大宮)で、プロ7年目にして初の3安打猛打賞を記録した[9]。
2016年には、一軍公式戦への出場機会がなく、10月1日に球団から戦力外通告を受けた[10]。12月2日、自由契約公示された[11]。
第2次中日時代
楽天からの戦力外通告後に、中日時代の一軍監督であった落合からの勧め[12]で、中日の秋季キャンプに参加した。参加中に入団テストを受けた結果、2016年11月25日に、育成選手として中日と契約することが球団から発表。5シーズン振りに中日へ復帰した。そして7月10日に支配下登録をされることとなった[13]。
2017年は1試合の出場に終わり、10月3日に球団から戦力外通告を受けた。その後、12球団合同トライアウトを受けたものの、獲得の意思を示す球団は現れず、12月2日付で自由契約選手として公示された[14]。
引退後
2018年1月11日、東北楽天ゴールデンイーグルスから楽天イーグルスアカデミーのジュニアコーチに就任したことが発表された[15]。また、2018年8月12日の東北楽天ゴールデンイーグルス対埼玉西武ライオンズ戦からJ SPORTSの野球解説者として活動する。
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選手としての特徴・人物
遊撃・二塁を中心に内野全ポジションを高いレベルで守り、外野もこなすユーティリティープレーヤー[16][17]。俊足を生かした走塁も武器[18]。打撃では課題があったが[16]、小技に長けていた[19]。第1次中日時代は監督の落合博満から堅い守備力を評価され、主に二遊間のレギュラーである荒木雅博、井端弘和のバックアップ要員として活躍した[16]。
守備でのモットーは「弱気は最大の敵」であり、グラブにも刺繍を入れていた。受け身にならず、常に攻めの姿勢で臨むことを貫いていた[20]。
詳細情報
年度別打撃成績
年度別守備成績
- 内野守備
- 外野守備
記録
- 初出場:2008年6月22日、対千葉ロッテマリーンズ4回戦(ナゴヤドーム)、8回裏に吉見一起の代打で出場
- 初打席:同上、8回裏に久保康友から捕手ゴロ
- 初盗塁:2008年8月3日、対読売ジャイアンツ15回戦(ナゴヤドーム)、9回裏に二盗(投手:マーク・クルーン、捕手:鶴岡一成)
- 初先発出場:2008年8月15日、対東京ヤクルトスワローズ15回戦(ナゴヤドーム)、2番・二塁手で先発出場
- 初安打:2008年8月16日、対東京ヤクルトスワローズ16回戦(ナゴヤドーム)、3回裏にショーン・ダグラスから左中間へ二塁打
- 初打点:2010年5月1日、対広島東洋カープ8回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、4回表に小松剛から左前適時打
- 初本塁打:2010年9月1日、対広島東洋カープ20回戦(ナゴヤドーム)、10回裏に大島崇行から左越サヨナラ2ラン
背番号
- 46 (2007年 - 2012年)
- 67 (2013年 - 2016年)
- 206 (2017年 - 同年7月9日)
- 0 (2017年7月10日 - 同年終了)
登場曲
- 「じょいふる」いきものがかり(2010 - 2011年)
- 「Sunny Stripe」ORANGE RANGE(2012年 - 2017年)
脚注
関連項目
外部リンク
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