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雄太
日本の元プロ野球選手 ウィキペディアから
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雄太(ゆうだい、本名:川井 進〈かわい すすむ〉、1980年6月17日 - )は、長野県佐久市出身の日本の元プロ野球選手(投手)。
プロ入りから2008年までの登録名は本名と同じ「川井 進」であったが、2009年に「川井 雄太」に改め、さらに2012年からは「雄太」としていた。
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経歴
要約
視点
プロ入り前
上田西高等学校では3年夏県大会ベスト8[1]、進学した大東文化大学では2年春に主戦となるもそのシーズンで首都大学リーグ2部に降格し、4年秋の入替戦で自身が2勝して復帰に貢献[2]。大学卒業後は日本通運へ入社し、変則左腕として都市対抗野球に2年連続で出場し救援登板[1]、その活躍が即戦力と評価され、2004年のドラフト会議において中日ドラゴンズから4巡目で指名され、入団。背番号は17。小川将俊とは社会人時代もバッテリーを組んだ。
プロ入り後
2005年には一軍で4試合に登板するも、その後2年間は一軍登板が無かった。左の先発候補としてウエスタン・リーグでは安定した成績を残すものの、豊富な先発陣の厚い壁に阻まれて活躍できなかった。
2007年のオフにドミニカのウィンターリーグへ参加したのをきっかけに成長を見せる。2008年4月11日に出場選手に登録され[3]、4月16日の対読売ジャイアンツ戦(ナゴヤドーム)でプロ初勝利を挙げた[4]。ヒーローインタビューではプロ入り直前に死去した父親へウィニングボールを捧げると涙ながらに語った[5]。しかしこれ以降は調子を落とし、一軍と二軍の間を行き来し、この年はプロ初勝利となった1勝に終わった。契約更改により、年俸は200万円増加の1100万円となった[6]。
2009年1月15日、登録名を「川井雄太」に変更することを発表した[7]。変更の理由に心機一転をあげており、雄太という名前は知人と考えたとのことで[8]、この名前には「雄々しく、図太く」との意味がある[9]。3月5日のオープン戦で巨人を相手に4回5失点をしたことで、開幕は二軍で迎えるものの[4]、4月21日に昇格し、4月26日の対巨人戦(東京ドーム)で1年ぶりの勝利を挙げると[10][4]、6月の月間4勝(月間MVP投手部門を受賞)を挟み[11][12]、7月12日の対広島東洋カープ戦(ナゴヤドーム)にて、球団新記録となる開幕9連勝をプロ初完封で飾り[13]、7月30日の対巨人戦(東京ドーム)にて勝利したことで、開幕11連勝まで記録を伸ばした[14][15]。次の登板となった8月6日の対阪神タイガース戦(ナゴヤドーム)で初黒星を喫した[16]。その後、シーズン終了まで5連敗となり[17]、規定投球回もクリアできずにシーズンを終えた。契約更改により、年俸が2300万円増の3400万円となったものの、その後の記者会見で開幕11連勝に対する評価は高くなかったと発言した[17]。また、この年は日曜日に登板することが多かったため、ファンから「サンデー川井」と呼ばれるようになった[17]。
2010年も先発ローテーションの一角として期待されるが、3月2日の広島とのオープン戦での負傷によって開幕ローテーションから漏れた[18]。5月24日に一軍に昇格し[19]、同日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(ナゴヤドーム)にてシーズン初登板、初勝利を挙げた[18]。しかし、この後1勝も挙げることも出来ずに3連敗し、二軍降格となった[20]。最終的な成績は6試合に先発で出場し1勝3敗となるなど、前年からの期待を裏切ることとなった[21]。
2011年は先発の谷間として活躍し、シーズン5勝を挙げる。5月8日の対巨人戦(ナゴヤドーム)にて1年ぶりにプロ2勝目となる白星を挙げ[22]、10月11日の対東京ヤクルトスワローズ戦(ナゴヤドーム)では対ヤクルト戦での初勝利を挙げた[23]。同年の日本シリーズ(対福岡ソフトバンクホークス戦)においても第4戦に先発した[24][25]。契約更改により、年俸は750万円増の3000万円となった[26]。
2012年1月15日に、登録名を「雄太」にすることが球団から発表された[27][28]。シーズンは好不調の波が激しく一軍と二軍を往復することとなり、一軍での勝利数は3勝に終わり、防御率4.31と前年より大幅に悪化した。
2013年は開幕から二軍暮らしが続き、リーグ戦終盤に3試合登板したのみに終わった。
2014年は5月から一軍に登録されると、7月9日のヤクルト戦(神宮球場)では5回を投げて3安打無失点のところで降雨コールドとなり、2009年7月12日の対広島戦以来5年ぶり2度目の完封勝利を挙げた[29]。その後も先発ローテーションの一角に定着し、19試合に登板(18試合に先発)して2009年に次ぐ6勝(7敗)をマークした。
2015年は3試合の登板に終わった。
2016年9月22日、ナゴヤドーム内での会見にて「ドラゴンズひと筋でやってきて、この球団で終わりたいと決めていた」と述べ、当シーズン限りでの引退を発表した[30]。同年10月31日付で任意引退公示された[31]。
引退後は、中日の編成部プロスカウトを務めた。その際の名義は「川井雄太」としていた[32]。なお、2023年現在は同球団の広報を務めており、名義は本名の「川井進」に戻している[33]。
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人物
詳細情報
年度別投手成績
表彰
- 月間MVP:1回 (2009年6月)
記録
- オールスターゲーム出場:1回(2009年)
- 投手記録
- 初登板・初先発:2005年4月20日、対広島東洋カープ4回戦(広島市民球場)、3回1/3を2失点
- 初奪三振:同上、1回裏に尾形佳紀から見逃し三振
- 初勝利・初先発勝利:2008年4月16日、対読売ジャイアンツ5回戦(ナゴヤドーム)、6回1失点
- 初完投勝利・初完封勝利:2009年7月12日、対広島東洋カープ12回戦(ナゴヤドーム)
- 打撃記録
登場曲
- 「HANABI」Mr.Children(2009年 - 2013年)
- 「Yesterday and Tomorrow」ゆず(2014年 - 2016年)
背番号
- 17 (2005年 - 2016年)
登録名
- 川井 進 (かわい すすむ、2005年 - 2008年)
- 川井 雄太 (かわい ゆうだい、2009年 - 2011年)
- 雄太 (ゆうだい、2012年 - 2016年)
脚注
関連項目
外部リンク
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