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川崎記念

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川崎記念
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川崎記念(かわさききねん)は、神奈川県川崎競馬組合川崎競馬場で施行する地方競馬重賞競走ダートグレード競走JpnI[注 1]である。農林水産大臣より寄贈賞が提供されており、正式名称は「農林水産大臣賞典 川崎記念(のうりんすいさんだいじんしょうてん かわさききねん)」と表記される。

概要 川崎記念 Kawasaki Kinen, 開催国 ...

副賞は農林水産大臣賞、神奈川県知事賞、日本中央競馬会理事長賞、日本馬主協会連合会長奨励賞、日本地方競馬馬主振興協会会長賞、地方競馬全国協会理事長賞、神奈川県馬主協会会長賞、よみうりランド賞、管理者賞[2]

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概要

要約
視点

1951年開設記念(かいせつきねん)として創設、第1回は川崎競馬場のダート3000mで施行された。創設当初は南関東地区古馬最強馬決定戦として位置付けられた。翌年にはダート2600mに短縮、1954年にダート2800mに延長、更に1955年はダート2400m、1956年はダート2000m、1957年はダート2300m、1959年には当初の施行コースダート2600mに戻されたが1961年にダート2200mに短縮、幾度の距離改正の末1964年にダート2150mに納まった。

1979年には現在の「川崎記念」に名称変更され1985年には再度ダート2000mに短縮、1990年に地方全国交流競走に指定されたが1994年のみ南関東限定競走で施行、1996年には中央・地方全国指定交流競走に指定されJRA所属馬の出走が可能になった。

1998年には、1997年4月から始まったダートグレード競走のGI(統一GI)に格付けされた。

また1999年に、ドバイワールドカップへの日本国内の前哨戦の意味合いを更に高めることを目的として出走可能頭数を12頭から14頭に増加させる措置が取られた。そのため、ダート2000mからダート2100mに距離を延長し、中央競馬フェブラリーステークスと共にドバイワールドカップの前哨戦、あるいは年始のダート最強馬決定戦としての地位を確立した。

2024年より古馬中距離路線のローテーション整備や出走馬の質を高める一環で、前年11月から2月まで古馬中距離のGI(JpnI)級競走が連続して行われていることを配慮し、時期を4月上旬に移行することが発表されている[3]。開催時期変更で、重複するドバイワールドカップの前哨戦ないし同レース後には使えなくなるが[4]、フェブラリーステークスやサウジカップデーから本競走へ、また本競走から帝王賞などへのローテーションが可能になる。なお、地方競馬が会計年度(4月から翌年3月)で行われる関係で「2023年度」の川崎記念は実施されない(移設時期である2024年4月は新年度となる)ことから、2023年度内においては同年12月14日にその年限りの中央・地方交流重賞として「神奈川記念」(JRA・地方交流、3歳以上、川崎・1,600m)を実施することとなった[5]

条件・賞金(2025年)[2]

出走条件
サラブレッド系4歳以上オープン 地方競馬所属選定馬及びJRA所属選定馬。
  • フルゲートは14頭で、地方・中央の別なく全登録馬の中から主催者による出走馬選考委員会にて選定する(2024年度より改訂)[6]
  • トライアル競走報知オールスターカップ(南関東SIII・川崎競馬場ダート2100m)の優勝馬並びにダイオライト記念(JpnII・船橋競馬場ダート2400m)の1、2着馬(地方所属馬に限る)に優先出走権がある。
負担重量
定量。4歳以上57kg、牝馬2kg減、南半球生産馬1kg減。
賞金額
1着1億円、2着3,500万円、3着2,000万円、4着1,000万円、5着500万円、着外手当25万円。
生産牧場賞
100万円。
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歴史

要約
視点

年表

  • 1951年 - 川崎競馬場のサラブレッド系4歳(旧5歳)以上の南関東地区限定重賞競走「開設記念」として創設。
  • 1952年 - 施行コースをダート2600mに変更。
  • 1954年 - 施行コースをダート2800mに変更。
  • 1955年 - 施行コースをダート2400mに変更。
  • 1956年 - 施行コースをダート2000mに変更。
  • 1957年 - 施行コースをダート2300mに変更。
  • 1959年 - 施行コースをダート2600mに戻す。
  • 1960年 - 前年の9月1日から日本競馬の時計表示が変更になったのに伴い、時計が1/5秒表示から1/10秒表示に変更。
  • 1962年 - 施行コースをダート2200mに変更。
  • 1964年 - 施行コースをダート2150mに変更。
  • 1972年 - 流行性の馬インフルエンザにより開催中止。
  • 1979年 - 名称を「川崎記念」に変更。
  • 1984年 - 施行コースをダート2100mに変更。
  • 1985年 - 施行コースをダート2000mに戻す。
  • 1989年 - 1着賞金が2000万円に増額。
  • 1990年
    • 地方全国交流競走に指定。
    • 1着賞金が2500万円に増額。
  • 1991年 - 1着賞金が3500万円に増額。
  • 1992年 - 1着賞金が5000万円に増額。
  • 1994年 - 南関東地区競走として施行。
  • 1996年
    • 中央・地方全国指定交流競走に指定。
    • 1着賞金が6000万円に増額。
  • 1998年 - ダート競走格付け委員会にGI(統一GI)に格付け。
  • 1999年 - 施行コースを現在のダート2100mに変更。最大出走頭数14頭となる。
  • 2001年 - 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「5歳以上」から「4歳以上」に変更。
  • 2007年 - 国際セリ名簿基準委員会(ICSC)の勧告に伴う重賞の格付け表記の変更により、統一グレード表記をJpnIに変更。
  • 2009年
    • 中央競馬所属馬の出走枠が4頭から5頭に、地方競馬所属馬の出走枠が7頭から6頭にそれぞれ変更。
    • 売得金額が7億7147万5400円を記録し、同競走の1レース売上レコードを更新。
  • 2016年
    • 中央競馬所属馬の出走枠が5頭から6頭に変更[7]、それに伴い地方所属馬の出走枠が9頭から8頭に変更。
    • 売得金額が9億5111万7900円を記録し、同競走及び川崎競馬場1レース売上レコードを更新。
  • 2017年 - 売得金額が10億1765万5900円を記録し、同競走の1レース売上レコードを更新。
  • 2018年 - 売得金額が10億6790万1500円を記録し、同競走の1レース売上レコードを更新。
  • 2020年 - 売得金額が13億5449万1000円を記録し、同競走の1レース売上レコードを更新。
  • 2021年
  • 2022年 - 売得金額が19億6462万2300円を記録し、川崎競馬場1レース売上レコードを更新。
  • 2023年 - 1着賞金が8000万円に増額[9]
  • 2024年
    • 「全日本的なダート競走の体系整備」に伴い、施行時期を1月下旬から4月上旬に変更[10]
    • この年からナイター開催として実施。
    • 1着賞金が1億円に増額。

歴代優勝馬

全て川崎競馬場ダートコースで施行。

優勝馬の馬齢は2000年以前も現行表記に揃えている。JRA騎手・調教師の表記は旧字体等の登録を禁止したJRA規定に従う。

さらに見る 回数, 施行日 ...

母系による親子3代制覇

過去に1組の例がある。

さらに見る 組, 母馬名 ...

※カネツフルーヴはロジータの産駒、レギュラーメンバーはロジータの子であるシスターソノの産駒。

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脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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