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松本好雄

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松本好雄
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松本 好雄(まつもと よしお、1938年1月6日 - )は、日本実業家馬主

概要 まつもと よしお 松本 好雄, 生誕 ...

経歴・人物

世界シェア4割を占める大型船舶用ディーゼルエンジンのクランク軸など、産業機械を手掛ける株式会社きしろ代表取締役会長(2013年現在[2])。愛棋家としても知られ、将棋の腕前はアマ六段。将棋棋士の内藤國雄とは旧知の間柄。その内藤の発案に応える形で、2005年より女流棋戦『きしろ杯争奪関西女流メイショウ戦』のスポンサーとなっている。2007年には紺綬褒章、2010年には旭日小綬章を受章している[3][4]

清和政策研究会の会長だった森喜朗の紹介により、明石市出身の衆議院議員の西村康稔の後援会長に就任した[5][6][7]

馬主活動

要約
視点
Thumb
松本の勝負服

日本中央競馬会(JRA)に登録する馬主として知られる。勝負服の柄は胴青、桃襷、袖桃[8]であり、地方競馬・現在ホッカイドウ競馬所属騎手の吉本隆記が松本の許可を得て同じ柄の勝負服を使用している[8]冠名に用いる「メイショウ」[4]は、本人が明石市生まれであることから「石の本」に由来し[3]、また同じ発音の「名将」ともかけている。

1974年、日本中央競馬会に馬主登録する[3]。現在では個人馬主としては少数の部類である一世代50頭近くを所有する大馬主であり、2009年9月からは日本馬主協会連合会会長を務め現在は名誉会長。所有馬のほとんどは栗東トレーニングセンターに入厩(ほぼすべての厩舎)しているが、一部美浦トレーニングセンター小島太厩舎や中野栄治厩舎に預託している馬もいる。また、妻の和子、息子で[9]きしろの現社長を務める好隆も馬主であり、好隆は2015年クイーンステークスを制したメイショウスザンナを所有している。いずれも冠名は好雄と同じく「メイショウ」を用いる。

大牧場出身の良血馬に席巻されている日本競馬界の中で、松本は中小規模の牧場との交流や繋がりを重視し、持ち馬のほとんどがそれらの牧場出身の良血とは言い難い安価な馬というのが特徴である。松本自身が馬を見て選ぶことはせず、調教師や牧場が薦めた馬を安く買っている。そのため、後に東京優駿天皇賞を制するメイショウサムソンを初めて生で見たのは、デビュー戦となった小倉競馬場のパドックであった。また、現役時代に所有していた馬の産駒も多く、メイショウホムラとその産駒メイショウバトラーは父子二代で重賞勝ち馬となった。中小規模の牧場で働く人々からは尊敬と親しみを込めて「メイショウさん」と呼ばれており、日高地区には「三愛会」という名の松本を囲む会もあるという[10]。所有した牡馬が競走馬として活躍できなくても、誘導馬に転向させることが多い馬主のひとりでもある。

中央競馬では個人馬主として歴代最多の1900勝達成しており幾多の重賞を制しながらGIのタイトルには長らく縁がなく、2001年メイショウドトウ宝塚記念を制するまでに28年を要したが、その後はメイショウボーラーフェブラリーステークス優勝)、メイショウサムソン皐月賞日本ダービー天皇賞・春天皇賞・秋優勝)など、GIレースでの活躍も目立つようになった。

リーディング上位の馬主の場合、調教師に対して出走レースや騎手の起用などにまで注文を付けることもあるが、松本は基本的に「自分は全く馬のことは分からないから、(調教師に)お任せをしている。従って口を出すことはない」とすべて一任していた。ただし2007年、メイショウサムソンの凱旋門賞挑戦に際しては、敢えて騎手を石橋守から武豊に替えさせた。松本は石橋と武の2人を呼んで「今回ばかりは私のわがままを聞いて欲しい」と、石橋に武へのスイッチの了解を求めたという(日刊スポーツなどの報道より)。その後2010年代に入り武豊や、武幸四郎を本格的に自身の競走馬の主戦騎手に据えるようになった[11]

座右の銘は「人がいて、馬がいて、そして又、人がいる」。

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主な所有馬

要約
視点

GI級競走優勝馬

重賞競走優勝馬

獲得賞金順一覧

さらに見る 馬名, 性別 ...

※獲得賞金が2億円以上の、既に登録が抹消された馬について記載。

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主な表彰馬

JRA賞
メイショウサムソン(2006年)
メイショウマンボ(2013年)
メイショウダッサイ(2020年)
メイショウサムソン(2007年)

脚注

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