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インテリパワー

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インテリパワー[1]とは、日本サラブレッド競走馬、および種牡馬である。中央競馬では芽が出なかったが、南関東競馬に移籍後活躍し、2000年川崎記念を制した。

概要 インテリパワー, 欧字表記 ...
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経歴

若駒時代

1997年にホッカイドウ競馬所属の林正夫厩舎所属で競走馬として登録され、6月5日に行われた札幌競馬場でのフレッシュチャレンジ(新馬戦)でデビューしたときは競走取消となったが、続く旭川競馬場でのナイター競走で初勝利を挙げた。その翌戦も連勝し、続く中央競馬開催の3歳500万下競走でも勝って3連勝を決めた。同年は以降の競走で勝つことはできなかったが、暮れの全日本3歳優駿では2着に入っている。

翌年に栗東中村好夫厩舎に転厩、中央競馬へと移籍した。しかし中央競馬ではほとんど活躍できず、転厩初戦の共同通信杯4歳ステークス(同年は積雪のため格付けなしのダート競走として施行)で4着に入ったのが中央での最高着順であった。10戦してこの年を終えた後、川崎競馬に移籍している。

古馬時代

秋山重美厩舎に転厩したインテリパワーは、1999年初戦となった京葉盃から、よみうりランド皐月盃まで5連勝を飾り、7月のサンタアニタトロフィーで南関東重賞の初勝利を挙げた。また、年末には浦和競馬場浦和記念ウイングアローを抑えてのダートグレード競走の初勝利も挙げた。

2000年2月9日、この年の2走目に出走した川崎記念で優勝し、この年は他にもマイルグランプリで優勝、ダイオライト記念でも2着に入り、NARグランプリサラブレッド系5歳上最優秀馬部門を受賞した。

2001年は大井競馬場の重賞金盃を勝つに留まり、翌年船橋競馬川島正行厩舎へと移った。2002年は同調教師のもとダイオライト記念優勝と金盃連覇を手にし、かしわ記念2着、帝王賞でも3着に入った。しかしその後故障により、長期の休養と再度の転厩を余儀なくされ、2003年に笠松競馬に移籍した。ここで後藤保厩舎に預けられるが、2003年11月24日に出走した東海クラウンにて再び故障、競走中止となったのを最後に引退した。

種牡馬時代

引退後は広島県のホースプロジェクトで種牡馬入りしたが、生産部門閉鎖に伴い引退。2006年12月21日に供用が停止された。産駒は大井・渡部則夫厩舎に入厩したエイワンガール一頭のみ。

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競走成績

要約
視点

以下の内容は、JBISサーチ[2]およびnetkeiba.com[3]に基づく。

さらに見る 競走日, 競馬場 ...
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血統表

インテリパワー血統(血統表の出典)[§ 1]
父系リヴァーマン系(ネヴァーベンド系
[§ 2]

*ルション
Rousillon
1981 鹿毛 アメリカ
父の父
Riverman
1969 青鹿毛 アメリカ
Never Bend Nasrullah
Lalun
River Lady Prince John
Nile Lily
父の母
Belle Dorine
1977 黒鹿毛 アメリカ
Marshua's Dancer Raise a Native
Marshua
Palsy Walsy Sea o'Erin
Allie's Pal

インテリフラワー
1991 鹿毛 日本
*オウインスパイアリング
Awe Inspiring
1986 鹿毛 アメリカ
Slew o'Gold Seattle Slew
Alluvial
Highest Regard Gallant Romeo
Bold Example
母の母
ササノマサル
1981 栗毛 日本
*リマンド
Remand
Alcide
Admonish
ササノビューティ *コントライト
ウチウラワンヒメ F-No.7-c
母系(F-No.) 7号族(FN:7-c) [§ 3]
5代内の近親交配 5代内アウトブリード [§ 4]
出典

脚注

外部リンク

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