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後関昌彦
日本のプロ野球選手 (1963-) ウィキペディアから
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後関 昌彦(ごせき まさひこ、1963年8月5日 - )は、千葉県鎌ケ谷市[1]出身の元プロ野球選手(外野手、一塁手)。左投左打。
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来歴
習志野高では2年生の時、控え選手ではあるが1980年夏の甲子園に出場。2回戦で東北高の中条善伸に完封を喫する[2]。
1981年オフに、ドラフト外でヤクルトスワローズに投手として入団し、入団後に野手に転向[1]。
1983年にはイースタン・リーグのベストナイン(一塁手)に選出される。一軍では左の代打要員としての出場が主であったが、1988年には17試合に一塁手、左翼手として先発出場。しかし同年オフ、谷宏明との交換で近鉄に移籍[1]。
1989年には指名打者、一塁手として14試合に先発するが、その後は出場機会が減少。1990年11月に他球団へ移籍するためのセレクション会議にかけられるも、進展なく12月に自由契約。その後、オファーのない後関に対し近鉄が10%減の年俸900万円で再契約している。1992年限りで現役を引退[1]。
引退後は近鉄のスカウトを経て、現在は東北楽天ゴールデンイーグルスのスカウトを務める[3]。アマ・スカウトグループマネージャーを経て、2019年シーズンからスカウト部長兼任[4]。担当した選手は、永井怜、美馬学、松井裕樹、オコエ瑠偉、藤平尚真、高梨雄平など。 また、船橋リトルリーグナショナルコーチとして活動中。
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エピソード
俳優の仲村トオルは同じ東葛地方の中学(後関:鎌ヶ谷二中、仲村:流山東部中)に通学しており(後関より2学年下)、「中学生時代に練習試合で対戦し、校舎の屋根を軽く越えるホームランを打たれた。」とラジオ番組(ニッポン放送「仲村トオルの待たせてゴメン」)で語っていた。
仲村によると、「中学生のなかに、一回りガタイの大きな選手がいて、それが(番組放送当時在籍していた)ヤクルトの後関選手だった」「(全力で投げたボールを軽く打ち返され)自分はプロ野球選手にはなれないと思った。プロになるのはこういうヤツなんだろうと思った」と語っている。
詳細情報
年度別打撃成績
記録
背番号
- 60 (1982年 - 1987年)
- 37 (1988年)
- 36 (1989年 - 1992年)
脚注
関連項目
外部リンク
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