トップQs
タイムライン
チャット
視点
中本茂樹
日本のプロ野球選手 (1957-) ウィキペディアから
Remove ads
中本 茂樹(なかもと しげき、1957年6月11日 - )は、徳島県美馬市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ。
Remove ads
経歴
徳島商業高ではエースとして活躍。高校卒業後は、同志社大学へ進学し硬式野球部に入部。関西六大学野球リーグでは1978年秋季リーグ、1979年秋季リーグの優勝に貢献。1978年秋の明治神宮野球大会では準決勝で岡田彰布のいた早稲田大を、決勝で松沼雅之のいた東洋大を降し初優勝。1979年の第8回日米大学野球選手権大会日本代表に選出される。リーグ通算54試合に登板し31勝9敗、211奪三振、防御率1.49。記者クラブ賞2回、ベストナイン2回受賞。大学同期に島田芳明がいた。
大学卒業後は、社会人野球の日本生命に入団。1980年の日本選手権では準々決勝に進み、松下電器の長谷部優と投げ合うが、9回裏逆転サヨナラ負けを喫する。同年の世界アマチュア野球選手権(後のワールドカップ)日本代表に選出。優勝のかかったキューバとの対戦で先発に起用され、長谷部優、竹本由紀夫と無失点でつなぐが、竹本が本塁打を打たれ0-1で惜敗、3位に終わった。1981年の都市対抗では、1回戦でリッカーの中西清起と投げ合うが敗退。
1984年には中継ぎ、抑えとして38試合に登板。その後も救援投手として活躍。
1988年は5月から先発として起用される。同年6月7日の巨人戦(郡山)でプロ初完投勝利を記録した。
1989年も先発投手として活躍する。
1990年には再び救援中心に戻る。
1992年限りで現役引退。
1999年には統一ライオンズの投手コーチに就任し、5年間務めた。
Remove ads
詳細情報
年度別投手成績
記録
背番号
- 20(1983年 - 1992年)
- 71(1995年)
- 73(1999年 - 2002年)
- 83(2003年)
- 75(2004年 - 2005年)
- 115(2008年 - 2010年)
- 104(2011年 )
Remove ads
脚注
関連項目
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads