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恵俊彰

日本のお笑いタレント (1964-) ウィキペディアから

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恵 俊彰(めぐみ としあき、1964年昭和39年〉12月21日 - )は、日本お笑いタレント司会者俳優スポーツ科学者学位修士[注釈 1][1]。お笑いコンビホンジャマカツッコミ担当。相方は石塚英彦。愛称は、恵(めぐ)ちゃん。

概要 恵(めぐみ) 俊彰(としあき), 生年月日 ...

鹿児島県鹿児島市出身。ワタナベエンターテインメント所属。

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略歴

鹿児島大学教育学部附属小学校鹿児島市立甲南中学校鹿児島県立甲南高等学校卒業。3年間の浪人を経て、東放学園専門学校に就職。

1986年(昭和61年)、当時渡辺プロダクション[注釈 2]が立ち上げた若手お笑いタレントグループ「BIG THURSDAYビッグサースデー」のオーディションに合格し、芸能界に入る。1988年(昭和63年)6月4日、インクスティック芝浦ファクトリーにて11人体制でホンジャマカ初ライブ「BIG THURSDAY ホンジャマカ VOL.1」を開催する。1989年(平成元年)、「ホンジャマカ」のメンバーが次々と脱退していく中で唯一残った石塚英彦と改めてコンビを結成し、再デビューを果たす。なお脱退メンバーの中には、後に恵の妻となる松本美貴がいた。

元々は「小デブ」として売り出しており、相方の石塚と区別が付かないほどだった。しかし、友人の岸谷五朗に太っていることを貶されるなどの理由から、20時以降は何も食べないなどしてダイエットをした結果、20kgの減量に成功。それ以来は「痩せている方」と言われるようになった。相方の石塚はこの事について「恵ちゃんが食べなくなったので、その分自分が食べて余計に太った」などとネタで話すことがある。

岸谷五朗がパーソナリティを務めるTBSラジオ岸谷五朗の東京RADIO CLUB』では、リスナーから絶大な支持を集めた。今や若者言葉として定着した「てゆ〜か〜」「ぶっちゃけ〜」「正直」などを使い始めた先駆けである。

その当時から恵個人でのソロ活動はしていたが、1998年(平成10年)にフジテレビロケットパンチ! MUSIC DELIVERY』で司会を担当したのを皮切りにソロでの司会業が増えていった。現在はTBSテレビ制作番組への出演が多く、特に2009年(平成21年)3月からは同系列局で平日に生放送情報ワイドショー番組ひるおび』の総合司会を、弁護士八代英輝と共に務めている。その他に俳優としても活動しており、『毛利元就』や『サラリーマン金太郎』シリーズなどに出演している。

2022年(令和4年)4月、『ひるおび』の不定期コメンテーター原晋[注釈 3]からの勧めで、早稲田大学大学院スポーツ科学研究科[注釈 4]に入学した[2][3]

2023年(令和5年)3月26日、早稲田大学大学院スポーツ科学研究科を修了。研究テーマは「情報番組がスポーツを伝える役割」であった[4]

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人物・エピソード

父の恵知雄は大島紬の工場である恵大島紬織物を経営していた職人で、白く染める泥染めの「白恵泥」で特許を取得している。母は京都府京都市出身。

3男1女の父親。妻は、11人体制時代のコントユニット「ホンジャマカ」のメンバーであった松本美貴

趣味はパソコン。ホンジャマカライブのポスターを自分でデザインしたこともある。その他には映画鑑賞、音楽鑑賞、ゴルフ、ビリヤードなどを趣味に持つ。『ひるおび』のホームページのマイブームの欄に「ゴルフクラブを眺めること・ゴルフクラブの角度調整をすること」と書いていたこともあり[5]、2017年(平成29年)にはチャリティゴルフ大会「ザ・レジェンド・チャリティプロアマトーナメント」の著名人の部で優勝した[6]

長渕剛三浦春馬のファン。

2001年(平成13年)頃からメジャーリーグに強い関心を持っている。

情報番組で総合司会業を行うことから前日どれだけ多忙でも毎朝5時に起床し、各局の情報番組をチェックするほか移動中もほぼ全ての新聞に目を通している[7]。 TBSの『ひるおび!』開始時、島田紳助から「(当時TBS昼枠視聴率低迷していたため)最下位の球団の監督をやるんやから、勝てるわけはない。FAで誰かをとってこられるわけでもないし。少なくとも1年やれば、視聴率をとることの難しさや、負けることを勉強できる。やるだけやってみればええ」との助言をもらった[8]

同期に当たる爆笑問題太田光からは「嫌い」「つまらない」とネタにされている。恵自身は太田をそれほどは嫌っておらず、DAIGO北川景子夫妻の結婚式で偶然居合わせて野次を飛ばされた際も普通に受け答えをしている[9]。だが、恵の所属事務所であるワタナベエンターテインメントは太田を警戒している様子で、太田は事務所スタッフから注意を受けたりしている[10]

ホンジャマカ結成前にはTBS『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』の名物コーナー「おもしろビデオコーナー」で前説を務めていた。2020年(令和2年)に志村けんが死去した際には、「前説でうけたら、本番前なのにステージに出てきてくれました。それが嬉しくて、「志村けん」という日本の喜劇の星と、たとえ前説でもいいから絡みたくて、頑張りました。もっともっとご一緒したかった…」とコメントを発表した[11]

2021年(令和3年)4月28日、東京2020オリンピック聖火リレーにて鹿児島県の最終聖火ランナーに選ばれ、緊急事態宣言下の東京[12]から移動しゴール地点の指宿市営陸上競技場で聖火皿への点火を担った[13][14]

2020年(令和2年)9月、鹿児島県広報大使である薩摩大使に就任[15]

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出演

要約
視点

石塚英彦とのコンビでの出演についてはホンジャマカ#出演を参照。

テレビ番組

太字は出演継続中の作品。

テレビドラマ

ラジオ番組

太字は出演継続中の作品。

CM

映画

吹き替え

舞台

  • 七人ぐらいの兵士(2000年)
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執筆

書籍

連載

脚注

外部リンク

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