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ゴールデン洋画劇場

日本のテレビ映画番組 ウィキペディアから

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ゴールデン洋画劇場』(ゴールデンようがげきじょう)は、1971年4月2日から2003年9月27日まで、フジテレビ系列で放映されていた映画単発特別番組枠

概要 ゴールデン洋画劇場, ジャンル ...

本項では、2001年10月6日放送分からの『ゴールデンシアター』についても記述する。

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概要

要約
視点

民放の映画番組枠の一つで、そのタイトルから放送される映画は原則として洋画というスタンスだった。そのため、邦画を放送するときには「特別企画」という言葉が付け加えられていた。2000年11月25日に放送された「中国からの贈りもの 若者たち 私たちの留学生活 - 日本での日々〜」など、不定期にドキュメンタリー番組が放送されたこともあった。

映画が超大作やノーカット作品の場合は20:00に放送を開始し、終了時間を延長する場合もあった。但しクロスネットの放送局の一部では完全放送が出来ず後日放送となり、穴埋め放送を行うこともあった。

開始から1981年3月27日までは金曜日21:00から放送されており、1981年4月4日からは放送曜日が土曜日に移動した。ただし、1981年4月 - 1995年9月の間は21:00 - 21:02に予告番組「映画情報」を放送し、本編は21:02開始となった。映画情報は1995年10月 - 1996年9月の間、20:59から開始となり事実上のフライングスタートとなった。

タイトルロゴは「ベン・ハー」「エル・シド」「聖衣」など当初ローマ史劇映画が多く放送されていたことに合わせ、古代ギリシャ・ローマのデザイン様式を彷彿とさせる格調高いイメージでデザインされた[2]

当番組は、1979年8月10日放送の「キタキツネ物語」から、2か国語放送を始めている。[1]

後述する高島の降板後、2001年10月からはタイトルを『ゴールデンシアター』に変更し、スペシャルドラマも放送するようになった。2003年10月からはバラエティ番組も放送する総合単発枠の『プレミアムステージ → 土曜プレミアム』へと転換した。

出演者

当初は、前田武彦が映画解説者として起用されたが、1973年6月に同じく前田が司会を務めていた『夜のヒットスタジオ』放送内でいわゆる「共産党バンザイ」事件を起こした責任を取り、止むなく同月22日放送分をもって降板、その後暫くは毎回ゲストが交替で解説を担当。同年10月5日放送分より高島忠夫が2代目の解説者として起用され、約25年間にわたり同番組の顔として登場していた。

高島は1998年夏に重度のうつ病を冒し、療養に専念するため同年7月25日放送分をもって番組を一時降板、この間は解説不在で放送を進めていた。その後、ホンジャマカのメンバーである恵俊彰を起用し、高島の復帰まで担当。高島は1999年7月に解説に復帰したが、2001年9月にうつ病が再発し正式に降板となった。なお、この間もタレントがゲスト解説を担当している(後述)。

放送時間の変遷

さらに見る 放送期間, 放送時間 (JST) ...
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タレント吹き替え

要約
視点

本番組はプロデューサーの山形淳二による「ベテラン声優や固定した配役は安心して観られるが、それでは進歩がない」「新しい刺激がほしかった」との理由でタレント(芸能人)による吹き替えを名物としていた[3]。一定数以上の好評を博し、成功した例としてはブルース・ウィリスの出演作の吹き替えを担当した村野武範[4]、『トップガン』のトム・クルーズの吹き替えを担当した渡辺裕之などがある[3]。一方で極端な賛否両論を呼んだとされる『バック・トゥ・ザ・フューチャー』や[3]、物議を醸し、「評判は決して良くなかった」とされる『タイタニック』のような例もあった[5][6]

タレント吹替の主な作品

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タレント解説

高島忠夫が病気療養のため降板していた時期の主な解説者(※ゴールデンシアター期を含む)

放映ネット局

要約
視点

※系列は現在の系列。

さらに見る 放送対象地域, 放送局 ...

※遅れネットの放送局に於いては前解説が高島忠夫、後解説が前田武彦という珍事も一部にみられた。

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オープニング

ゴールデン洋画劇場時代

  • 1971年4月 - 1981年3月:初代(クリント・イーストウッドら海外の映画スターのブロマイドのコラージュを表示するアニメーション→タイトルロゴ表示)オープニング・アニメーション・フィルム制作=グループ・ダート、作曲・高沢智昌「フジテレビゴールデン洋画劇場テーマ」
    • タイトルの上段(※ゴールデンの"ゴ"が強調されたスタイル)と下段(※小さく洋画劇場)に挟まれた輝きは小さく直後にアニメで浮き上がるスタイルが使用された。
  • 1981年4月 - 1995年9月:2代目(城→鳩→戦車→ブランコに乗った女性→馬→殺し屋→宇宙船→ブロードウェイ→恋人→海→タイトルロゴ表示。アニメーションの変遷で映画作品の各ジャンルを表現している)監督・和田誠、作曲・八木正生「ゴールデン洋画劇場のオープニングテーマ」
    • タイトルに挟まれた輝きは大きくアニメに入らずフェイドアウトしていた。
  • 1995年10月 - 1997年3月:3代目(グラスに入ったシャンパンを乾杯し、タイトルロゴと当日放映される映画タイトルを表示→フェイドインしたシャンパングラスの奥でシルエットの男女がキスを交わす→提供クレジット表示)作曲 立原摂子「YESTERDAY S DREAM(『ゴールデン洋画劇場』タイトルテーマ)」
  • 1997年4月 - 2001年9月:4代目(2代目を模した作り。ハートマークの緞帳が上がり、ビルの上にヘリコプターが飛ぶ→舞踏会→炎の中を歩くロボット→墓場から死者が甦る→2人の恋人が歩く→夕陽を背に走る馬車→星空→タイトルロゴ表示)監督・和田誠、作曲・佐山雅弘「『ゴールデン洋画劇場』テーマ」

ゴールデンシアター時代

  • 2001年10月 - 2003年9月:5代目(赤いソファから映画館の幕が開く→宇宙での戦いで1つの戦闘機が攻撃を受けて海に落ちる→海の中でサメ登場→2人のガンマンが向かい合う→様々な色の車が道路を走る→タイトルロゴ表示)曲名不明
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備考

  • 放送開始からしばらくはエンディングの吹替キャスト・スタッフクレジットの後に映画雑誌『スクリーン』『ロードショー』の最新号プレゼントの告知がされていた。
  • 1980年代中頃まで、1クールごとに同番組の放送予定リストとその作品の解説が載っているパンフレットを視聴者プレゼントとして発行していた。
  • 同局で深夜に放送されていたクイズ番組カルトQ』では「2代目のゴールデン洋画劇場のオープニングの戦車の番号は?」という、マニアックな問題が出題されたことがある(ちなみに正解は『611』)。
  • 1975年5月2日放送分(作品は『ザルツブルク・コネクション』)では、小川宏がフジテレビの全番組に出演する『5・2小川宏のテレビアタック24時間!!』のイベントの一環として、小川が高島と共に解説を担当、また1977年4月8日放送分(作品は『明日に向って撃て!』)では、萩本欽一がフジテレビの全番組に出演する『欽ちゃんのドーンと24時間』のイベントの一環として、萩本が高島と共に解説を担当した。
  • 1977年10月15日長崎バスジャック事件が発生した当時、時差放送(経緯先述)でネットしていた長崎放送では、このタイトルで同年7月にテレビ朝日『日曜洋画劇場』として初放送された「続・激突!/カージャック」という作品が時差ネットで放送されており、その最中で映画は中断となり、奇しくもバスジャック事件の現地実況に変更された。
  • 1977年12月23日、『ティファニーで朝食を』を放送予定だったが、鹿内信隆による韓国の大統領朴正煕へのインタビュー『報道特別番組 朴大統領アジアの平和を語る 初のテレビ会見』へ差し替えになった[8]
  • 1996年10月5日、この日は「ターミネーター2・特別編」の放送を予定していたが、当時長嶋茂雄監督率いる読売ジャイアンツが11.5ゲーム差をひっくり返したいわゆる「メークドラマ」の年であり、当時2位の中日が負けると巨人のセ・リーグ優勝が決まる中日対広島26回戦(ナゴヤ球場)を「緊急中継!長嶋巨人メークドラマ完結なるか?」と題し、東海テレビの制作協力で21時より中継(結果は中日のサヨナラ勝ち)[9]。そのため、「ターミネーター2・特別編」は45分遅れで放送された。
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予告ナレーション

主な放送作品

洋画

邦画

ドラマ・その他

  • リラックス~松原克己の日常生活(1982年11月13日放送)
  • 聖夜の奇跡(1995年12月23日放送)
  • 三億円事件-20世紀最後の謎-(2000年12月30日放送)
  • 黒い十人の女(2002年9月21日放送)
  • E.YAZAWA 成りあがり(2002年11月23日放送)
  • 赤ひげ(2002年12月28日放送)
  • 白線流し 二十五歳(2003年9月6日放送)
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脚注

関連項目

外部リンク

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