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斉藤とも子

日本の女優 (1961-) ウィキペディアから

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斉藤 とも子(さいとう ともこ、1961年昭和36年〉3月14日 - )は、兵庫県神戸市北区[1][注釈 1]出身の女優。本名およびデビュー当時の芸名は斉藤友子(読みは同じ)。社会福祉学者社会福祉士[3]東洋大学社会学部卒業、元神戸親和女子大学客員教授(2015-2020年)[4][5]血液型はAB型。

概要 さいとう ともこ 斉藤 とも子, 本名 ...
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来歴・人物

父は郵政省内医院の医師[2]、兄弟は妹がひとり[2]。元夫の芦屋小雁との間に1男1女がいる。
1972年
小学6年生の頃、母親をで亡くした。1975年に同じ境遇の家庭をテーマにした、日本テレビのドラマ『微笑』を見て感激し、それをきっかけに芸能界の道を志す[2]。東京新社付属神戸養成所入所[2]、父の転勤で上京したことにより、東京都新宿区にある同養成所に移籍[2]
1976年
NHKで放映された『明日への追跡』(少年ドラマシリーズ)でデビュー。
1978年
若い広場』(NHK教育テレビ)の中のコーナー「マイブック」で聞き手を務め注目を集めた。『青春ド真中!』、『ゆうひが丘の総理大臣』など、学園ドラマでの「優等生の生徒役」を多く演じた。以後、少年向けドラマ番組への出演が多数。東京都立代々木高等学校2年で中退。[6][7]
1979年
占い師のアドバイスにより芸名を「斉藤とも子」に変える(映画「悪魔が来りて笛を吹く」のパンフレットを参考)
『車輪の一歩』(『男たちの旅路』第4部)で、身体障害者である主人公を演じた。
初のシングルレコード「風のように」を日本フォノグラム(現在のユニバーサルミュージック)から発売。
1982年
映画『ひめゆりの塔』に出演。
1987年
芦屋小雁と結婚(1995年に離婚)。
1995年
タイをテレビドキュメンタリーのレポーターとして訪れ、スラムでの生活を見て共感を覚える。
1999年
芸能活動優先のため東京都立代々木高校を中退したので大学入学資格検定受検を経て、東洋大学社会学部社会福祉学科に合格。
2003年
東洋大学大学院に進学し、原爆小頭症患者と家族の会「きのこ会」を知る。
2005年
同大学院社会学研究科福祉社会システム専攻修了。[6]
論文集『きのこ雲の下から、明日へ』を上梓。
2006年
広島の原爆を扱ったオーディオドラマ『夕凪の街 桜の国』(FMシアター)に出演。
2011年8月6日
マツダスタジアムでプロ野球公式戦ナイター広島-巨人戦の前に詩「8月6日」を朗読。
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出演

映画

テレビドラマ

ナレーション

映画
  • 神戸ポートアイランド博覧会 ダイエーパビリオン体験劇場『ワールドコースター<地球一周19分>』(1981年)
  • ドキュメンタリー映画『ボクラの島を忘れない』(2005年)語り
  • 祝の島(2010年)
  • かづゑ的(2024年)
テレビ
  • ドキュメンタリー番組『ホッキョクグマと暮らす極北の町チャーチル〜写真家・Hisaの絆』(2007年1月2日、BSジャパン)
  • ETV特集「原爆にさわる 被爆をつなぐ 〜長崎・被爆二世 戦後70年をこえて〜」(2015年9月12日、NHK Eテレ)[8]
  • 被爆75年 未来へ『おーい、聴こえますか?被爆75年・ヒロシマから』(2020年8月6日、中国放送

舞台

バラエティー番組

その他のテレビ番組

CM

  • ソニー Pure Heart Audio『忘れていた時間篇』(2007年3月26日 - )妻役 北見敏之と共演

吹き替え

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ディスコグラフィ

シングル

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アルバム

タイアップ曲

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書籍

単行本

  • 青春の時間割(1979年4月、現代新社) - エッセイ
  • マイブック(1980年9月、講談社) - 聞き手 『若い広場』(NHK教育テレビ)の「マイブック」コーナーの一部を収録
  • きのこ雲の下から、明日へ(2005年8月、ゆいぽおとISBN 4-87758-401-3) - 自身の修士論文を元に加筆したもの

写真集

  • ありがとうあなた(1979年7月、ペップ出版) - フォト&エッセイ

脚注

関連項目

外部リンク

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