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明治大学スケート部

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明治大学スケート部(めいじだいがくスケートぶ)は明治大学体育会に所属する大学スケート競技チームである。1925年発足。

概要・歴史

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2022北京五輪後に岸田首相を表敬訪問した伊東秀仁選手団団長

1925年大正14年)発足。1923年頃、明治大学体育会山岳部部員が赤城湖畔群馬県)にて全国学生氷上連盟の第1回インカレに出場するための合宿を行ったことが部の前身になったといわれている[1][2]1930年に体育会に正式加盟した。

アイスホッケー部門、スピードスケート部門、フィギュアスケート部門の3部門により構成され、3部門それぞれに於いて、世界選手権大会や冬季オリンピック大会などの日本代表選手や指導者、協会要職者等を数多く輩出している。

大学スポーツ界における“氷上の王者”と称えられ、過去97回の日本学生氷上競技選手権大会(スピードスケート、フィギュアスケート、アイスホッケーの3競技で総合優勝を競う)において総合優勝61回という記録を保持する。

競技部門

フィギュアスケート部門

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2018年世界フィギュアスケート選手権表彰台の樋口新葉

創部メンバーである久保信1930年に初めて開催された全日本フィギュアスケート選手権で初代チャンピオンに輝いて以来、有坂隆祐による全日本フィギュアスケート選手権大会5連覇、同じく小林正水による個人4連覇、久永勝一郎(後の国際スケート連盟副会長、日本スケート連盟会長)、竹内己喜男1972年札幌オリンピック日本選手団1976年インスブルックオリンピック日本選手団の総監督)、杉田秀男(同・日本スケート連盟理事)などの活躍による第23回インカレから第31回大会までの9連覇、55回大会からの8連覇等々、輝かしい歴史を誇る。2022冬季北京オリンピックフィギュア団体戦において、樋口新葉が、日本史上初となる銀メダル獲得に貢献。

アイスホッケー部門

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世界オールラウンドスピードスケート選手権大会(1965)で優勝した鈴木惠一

1923年頃に、在学中の明治大学体育会山岳部部員の新田義夫(後の男爵)らが赤城湖畔にて合宿を始めたのが前身といわれている。大学三大大会といわれる「春季関東大学選手権」、「秋季大学リーグ戦」、「日本学生氷上競技選手権大会(インカレ)」においていずれも最多優勝回数を誇る、大学アイスホッケー界をリードする存在である。

雪印メグミルク社長の佐藤雅俊など、選手として所属した著名企業で、そのまま経営トップや経営層で活躍するOBなどもみられる。ユニフォームは、スクールカラーの紫紺を基調に、明治のMと勝利のVを模った伝統のデザインで知られ、選手が腕を下ろすとMEIJIの「M」、両手を上げると勝利のVICTORYの「V」を表象する仕様となっている。

スピードスケート部門

元男子500メートル世界記録保持者で、2010年バンクーバーオリンピック日本代表選手団総監督や1972年札幌オリンピック選手団長などを務めた鈴木恵一を始め、多くのオリンピアン、協会指導者などを輩出。近年では、2006年トリノオリンピックに代表選手2名を、2010年バンクーバーオリンピックには、日本代表選手団総監督の他、コーチ、代表選手4名など、部関係者計6名を派遣している。

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明治大学スケート部をモデルにした作品

  • 『スクラッチタイム』(1987〜90 漫画) - アイスホッケー部選手が主人公

主な出身者

フィギュアスケート部門

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西野友毬ISUジュニアグランプリシリーズ
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2019年フランス国際エキシビションの樋口新葉
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世界ジュニアフィギュアスケート選手権表彰台の本田真凜樋口新葉
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佐藤駿ISUグランプリファイナル
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三浦佳生2023年スケートカナダ

スピードスケート部門

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世界オールラウンドスピードスケート選手権大会(1965)で優勝した鈴木惠一
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世界距離別スピードスケート選手権大会チームパシュートで滑走する平子裕基杉森輝大

アイスホッケー部門

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冨田正一日本アイスホッケー連盟会長)
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大津晃介アイスホッケー日本代表
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磯部裕次郎東京ワイルズ

その他

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脚注

外部リンク

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