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木暮武太夫 (1893年生の政治家)

日本の実業家、政治家 ウィキペディアから

木暮武太夫 (1893年生の政治家)
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木暮 武太夫(こぐれ ぶだゆう[1][2][3]、旧名・正一[4][5](まさかず)[2][3]1893年明治26年〉2月17日[3] - 1967年昭和42年〉7月10日[3])は、日本政治家実業家、群馬県多額納税[4][6][7]位階正三位衆議院議員(8期)、参議院議員(2期)、運輸大臣伊香保温泉の旅館業、木暮旅館主[4]。群馬県観光協会日本温泉協会各会長[1]群馬銀行取締役会長[8]関東いすゞ自動車販売社長[9]群馬バス社長[2][3]。25代目武太夫[10][11]

概要 生年月日, 出生地 ...
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1932年
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来歴・人物

群馬県北群馬郡伊香保町(現・渋川市)出身[2][8]先代・木暮武太夫元衆議院議員の長男[4][2][注 1]。木暮家の祖先は赤松円心の後裔・源祐利で、木暮氏系図によれば祐利の母は長野業正の娘であるという[13]。木暮氏は武田家遺臣として天正年間伊香保に土着し[13][14]、群馬きっての旧家として知られ、「県下唯一の金持ち」と称せられていた[15]

1912年(明治45年)、旧制前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)卒[5][16][3]1917年大正6年)、慶應義塾大学理財科を卒業[4][15][5][2][8]。はじめ三井銀行に勤めたが[9][2][5][3][8]、退社して家業の旅館業に従事した[2][3]

伊香保町議会議員も務めた[9][17]1924年(大正13年)、衆議院議員に当選以来、当選8回[9]1926年(大正15年)家督を相続して正一を改め[4]、第25代木暮武太夫を襲名した[18]第1次近衛内閣幣原内閣商工政務次官を務めた[9][2]

戦後、公職追放となったが1952年(昭和27年)に衆議院議員に当選し国政に復帰した[3][8]1956年(昭和31年)、群馬地方区参議院議員となり、当選2回[9]第2次池田内閣では運輸大臣を務めた。また伊香保自動車取締役、関東いすゞ自動車販売群馬バス各社長、群馬大同銀行、群馬信用保証協会、国際観光旅館連盟、日本温泉協会各会長などを務めた[1][9]

1967年(昭和42年)参議院議員在職中に死去した。

趣味は読書、旅行[4][7]。宗教は仏教[4][7]。族籍は群馬県平民[19]。長峰公園(渋川市湯中子)に生前銅像が建立された[5][2]

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年譜

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1953年
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所属政党

エピソード

家族・親族

木暮家
親戚
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選挙歴

さらに見る 当落, 選挙 ...

※第19回衆院選は畑桃作の当選無効による繰り上げ当選。

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脚注

参考文献

関連項目

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