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松岡昌宏

日本の俳優、タレント、ドラマー (1977-) ウィキペディアから

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松岡 昌宏(まつおか まさひろ、1977年昭和52年〉1月11日[4][6] - )は、日本俳優タレントドラマーYouTuberバンド形態の男性アイドルグループTOKIOの元メンバー(ドラム担当)。北海道札幌市[7]西区八軒[8]出身。所属芸能事務所株式会社TOKIOで、同社の取締役副社長・広報担当[2]

概要 松岡のちゃんねる, YouTube ...
概要 まつおか まさひろ 松岡 昌宏, 別名義 ...
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来歴

北海道札幌市西区八軒の「医療法人社団カワカミウィメンズクリニック」で生まれた[8]。10歳まで八軒で育つ。両親の離婚を機に、母と神奈川県横浜市に移住したが[9][8]、当時の生活に不満を持っており[10]、毎日丘の上にのぼり、東京タワーを眺め、「必ず東京タワーが見えるところに住む」と思いを馳せていた[11]。そのころにテレビで光GENJIを見て[10]、13歳の時に自分でジャニーズ事務所に履歴書を送る[12]。書類審査を通過してテレビ朝日のオーディション会場に呼ばれるが、当時流行していたツッパリスタイルで眉毛もないのをごまかした状態で行く、会場にいた社長のジャニー喜多川を用務員だと思って睨み返す、「ユー」と呼ばれ「ユーって誰?僕は松岡なんで、ユーはやめてください」と言い返すなど、本人も内定するわけがないと思うような態度で臨んだ。しかし、翌日には社長から内定の電話があり[9]、1989年に事務所入りすることになる[5]。事務所に入り、最初に住んだマンションからは東京タワーが見え、自身は「絶対このチャンスを逃してはいけない。どんなことがあってもしがみつこう」と誓った[11]

ジャニーズJr.として活動を始め、SMAPのバックダンサーとして結成されたSMAP学園に所属[5]。1990年、『愛してるよ!先生』(TBS)で俳優デビュー[7]。1994年9月21日に『LOVE YOU ONLY』でCDデビューを果たす。

2004年にはゴジラシリーズ50周年記念作品『ゴジラ FINAL WARS』で映画初主演。グローマンズ・チャイニーズ・シアターでのワールドプレミアにも出席し、ハリウッドレッドカーペットを踏む。また、ゴジラハリウッド・ウォーク・オブ・フェームにも参加したほか、舞台挨拶では英語でスピーチを行った[13]

2008年12月に、テレビドラマ『必殺仕事人2009』で共演する東山紀之大倉忠義と3人で特別ユニット・The SHIGOTONINを結成[14]

2017年に、第6回コンフィデンスアワード・ドラマ賞にて『家政夫のミタゾノ』で主演男優賞を受賞し[15][16]、後の舞台化作品においても主演を務めた[17]。2019年、10月放送開始のテレビ東京連続テレビドラマ『死役所』の主演を務め、民放全局の連続ドラマの主演を制覇する[18]

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人物

松兄」という愛称で慕われている。堀越高等学校卒業[19]。同級生にゆってぃがいる[20]。2023年にはテレビドラマ『家政夫のミタゾノ』で共演を果たした[21]

サウナ通いを好む[2][22]。体調管理として行ってきたが、2012年4月17日に都内のサウナ施設で脱水症状を起こし病院に緊急搬送され、当日に行われた舞台『灰色のカナリア』の製作発表を欠席した[22]。その際、サウナに偶然居合わせた吉川晃司に介抱された[22]

TOKIOのプロモーションビデオ[23]やフジテレビ系テレビドラマ『0号室の客』の「Last Story ロックな男」[24]、日本テレビ系特別テレビドラマ『もう帰って来たよ!!怪物くん全て新作SP』の「オオカミ男の嘘編」などの演出も手掛ける[25]

1987年放送のテレビドラマ『ママはアイドル!』を観て以来、中山美穂の大ファン[26]

携帯電話フィーチャーフォン(ガラケー)を20年以上使い続け、当時は他のメンバーのグループLINEの内容を国分太一がまとめて松岡に伝えたりしていた。もともと「機械が苦手」なことが背景にあり、現金自動預払機(ATM)を使うのも苦手だという[27]。しかし、2021年の株式会社TOKIO発足に伴い国分から「頼むからスマホを持ってくれ」と懇願され、ついにスマートフォンへ移行した[28]。他にも物持ちは良い方で、スタッフからプレゼントされた革の財布を自ら修理しながら13年以上使ったりもしている[28]

テレビ朝日系金曜ナイトドラマ『家政夫のミタゾノ』シリーズで共演した女優の山本舞香から“兄貴”と呼ばれ、慕われている[29]

東宝富山省吾は、松岡の出演した舞台『スサノオ〜神の剣の物語〜』を観て役者としての華やアクションを評価し、いずれアクション映画をやりたいと考えていたことから『ゴジラ FINAL WARS』に起用したことを語っている[30]。共演した北村一輝も、松岡はダンスで基礎ができていて体が動くため、立ち回りもブレがなくやりやすかったと述懐している[31]。また、共演者のドン・フライは、松岡をエネルギーの塊と評しており、セリフや立ち位置などプロとして素晴らしかったと述べている[32]

2025年から東京と函館の二拠点生活をしている[33]

家族

父親はスキューバダイバー[34]。母親は松岡の幼少期、内職で木彫りのクマを掘る研修に通っていたが合格できず、それからは「ビデオテープのゴム貼り」をしていた[35]

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作品

TOKIOでの自作曲

※松島茂宏=松岡と城島茂の共同名義[36]

さらに見る 曲名, 担当 ...

他アーティストへの提供曲

※Kaoru=テレビドラマ『家政夫のミタゾノ』で松岡が演じる主人公・三田園薫の名義[1][37]

さらに見る 曲名, 提供アーティスト ...

参加作品

さらに見る 発売日, 収録作品 ...

出演

要約
視点

グループでの出演はTOKIO#出演を参照。個人出演のみ記載。

テレビドラマ

映画

ラジオ

バラエティ

特番

テレビアニメ

  • こどものおもちゃ 第1話(1996年、テレビ東京) - 松岡昌宏(本人) 役 ※アニメオリジナルキャラクター

劇場アニメ

CM

舞台

ゲーム

PV

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脚注

参考文献

外部リンク

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