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松本基弘

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松本 基弘(まつもと もとひろ、1963年8月21日 - )は、日本テレビドラマ映画プロデューサーPROTX所属。元テレビ朝日社員。

概要 まつもと もとひろ 松本 基弘, 生年月日 ...
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人物

要約
視点

東京都墨田区生まれ。後に愛知県春日井市高蔵寺町に転居。血液型A型。名古屋市立向陽高等学校北海道テレビの名物ディレクター・藤村忠寿はラグビー部の後輩)を経て早稲田大学教育学部卒業後、1987年テレビ朝日入社。

入社直後ワイドショー部に配属。人手不足の折、すぐに取材ディレクターを任され、ネタ決めから構成・取材・編集なんでも一人でやらせてもらえる幸運に恵まれたという。 その後、番組が「欽ちゃんのどこまで笑うの」に代わり、“大将”こと萩本欽一から“ふり”、“おち”、“フォロー”笑いの三原則を学んだらしい。

※その後、ドラマ班チーフプロデューサーとなる。
  • 2000年 「土曜ワイド劇場」で「相棒-二人だけの特命係」を制作したところ、高視聴率を獲得し、水曜9時枠で連続ドラマ化される。

以降、主に水曜9時枠も担当することに。 「相棒」「エースをねらえ!」「刑事部屋」「PS-羅生門-」「警視庁捜査一課9係」「ゴンゾウ 伝説の刑事」を制作。

  • 2007年 「相棒season5元日スペシャル・バベルの塔」で日本民間放送連盟優秀賞を受賞。
  • 2008年 「相棒-劇場版‐」全国公開。興行収入08年度前期No.1となる。
    「相棒」水谷豊、寺脇康文が第16回橋田賞を受賞。
  • 2008年 「ゴンゾウ」脚本の古沢良太が向田邦子賞を受賞。
※この年より、ゼネラルプロデューサーとなる。


「相棒」制作の経緯

土曜ワイド劇場枠で、松本がプロデュースをしていた水谷豊が主演の『探偵事務所』シリーズの原作が残り1本になり、松本は、水谷主演の新シリーズを企画することを思い立ち、水谷に相談。水谷は快諾したので進めることに。

新しい脚本家と組みたいと思い脚本家探しをしていたところ、たまたま目にした明石家さんま主演のテレビドラマ(『恋のバカンス』だったかと回想している)の面白さに感銘を受け、そのドラマの脚本を務めた輿水泰弘にコンタクトを取り、輿水も了承した。ところが、輿水のスケジュールが1年先まで埋まっており、水谷も納得した上で撮影開始まで1年半待つことになった[3]

その後、土曜ワイド劇場枠で同じく松本がプロデュースするシリーズの主演を務めていた寺脇康文と松本が打合せした際、寺脇が水谷に憧れている話をし、水谷との共演を希望したことから、まもなく水谷と寺脇のコンビものという企画に決定する[3][4]

当初は輿水が「名探偵もの」、松本が「警視庁の刑事もの」と基本設定の方向性が分かれ、素人探偵では事件に取り組むプロセスが必要となるため、ダイレクトに事件に関われるように設定を刑事にし、所轄と異なり扱う事件が多岐に渡るという点から所属を警視庁へと決定した。

なお、番組タイトルは、当初輿水が「黄金刑事(ゴールデンコップス)」という案を出してきた。しかし、その他になかなかスタッフ全員が納得のいくタイトルが出ないため、仮タイトルという扱いになる。その後、輿水とプロデューサーが中華料理店で食事中に偶然出てきた『相棒』と言うフレーズがタイトルに決まった[5]

2時間ドラマから連続ドラマにするにあたり、松本は、大の大人二人で2時間で解決する事件のフレームで作ったものを1時間に収めるには、”珠玉の短編集”にすることだと思いついたと言う。 その後、輿水以外にも新たに脚本家に入ってもらい、「相棒」の世界観を広げていくことで、”短編集”としてのレベルアップを追求していく。そうした経緯で、櫻井武晴古沢良太砂本量太田愛戸田山雅司といった強力脚本家陣が集結することになる[6]

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主なプロデュース作品

テレビ

土曜ワイド劇場

連続ドラマ

スペシャルドラマ

映画

出演番組

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関連項目

脚注

外部リンク

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