トップQs
タイムライン
チャット
視点

林正広

日本のプロ野球選手 (1952-) ウィキペディアから

Remove ads

林 正広(はやし まさひろ、1952年5月25日 - )は、和歌山県和歌山市出身の元プロ野球選手内野手)。旧名は林 正宏

概要 基本情報, 国籍 ...
Remove ads

来歴・人物

向陽高校では2年生の時、遊撃手として1年上のエース藪上敏夫を擁し、1969年春の選抜に出場。1回戦で三重高上西博昭に抑えられ敗退[1]。同年夏の甲子園県予選では、準決勝で箕島高島本講平に完封を喫する。翌1970年夏の県予選でも準々決勝に進出するが、新宮商に延長13回の熱戦の末に敗退、夏の甲子園には出場できなかった。

卒業後は住友金属に入社、遊撃手として都市対抗野球大会などで活躍する。1971年のドラフト会議南海ホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)から9位指名されるが、これを拒否しチームに残留。1975年社会人野球日本選手権では三番打者として準決勝に進むが、鐘淵化学宮田典計に完封を喫する[2]。この大会では優秀選手賞を獲得。

1975年のドラフト会議近鉄バファローズから4位指名され入団。

1980年には主に二塁手として40試合に起用され、うち12試合に先発出場を果たす。同年の日本シリーズにも代打として起用されたが、3打数0安打2三振に終わる。その後は出場機会が減り、1985年限りで引退した。

Remove ads

詳細情報

年度別打撃成績

さらに見る 年 度, 球団 ...

記録

背番号

  • 52 (1976年 - 1980年、1985年)
  • 23 (1981年 - 1984年)
Remove ads

脚注

関連項目

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads