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植田幸弘

日本のプロ野球選手、コーチ (1964-) ウィキペディアから

植田幸弘
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植田 幸弘(うえだ ゆきひろ、1964年7月27日 - )は、和歌山県田辺市[1]出身の元プロ野球選手捕手)、コーチ

概要 基本情報, 国籍 ...
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経歴

南部高では、1982年捕手として夏の甲子園に出場[1]。1回戦で熊谷高に敗退。

1982年オフに、ドラフト外広島東洋カープに入団[1]。同期入団には西田真二白武佳久堀場秀孝らがいる。全盛期だった達川光男の控えとしてチームを支える。

1989年には達川の故障もあり、31試合に先発マスクを被る。

1990年も43試合に先発出場、強肩とパンチ力のある打撃をしばしば見せていた。1990年6月2日の巨人戦の9回裏、2死2塁の場面で金石昭人ウォーレン・クロマティから敬遠球をサヨナラヒットにされた時の捕手で、のちに達川から説教をされていた[2]。二軍(ウエスタン・リーグ)公式戦では一塁手としてもしばしば出場し、一軍公式戦でも途中出場で一塁を守ったことがある。

1993年、達川の引退でこの年はキャンプから西山秀二瀬戸輝信との熾烈な正捕手争いとなり植田もチーム2位の56試合マスクを被ったが課題の打撃が改善できず正捕手の座は勝ち取れなかった。シーズン終了後、鈴木哲との交換トレードで西武ライオンズへ移籍。

1994年は25試合に先発出場、伊東勤の控えとしてチームを支える。

1996年髙木大成の入団に伴い出場が大幅に減った。

1997年に左足靭帯を断裂してからは一軍出場も無くなる。

1999年シーズンオフに現役を引退[1]

2000年、西武のブルペン捕手となる[1]

2001年から3年間チームスタッフとして東尾修伊原春樹らを支えた。

2004年から伊東の監督就任に伴いバッテリーコーチに就任した。どちらかといえば選手当時の実績よりは、縁の下としてのコーチとしての実績の方が功績が高い。

2008年から、広島一軍バッテリーコーチに就任し、2020年から二軍バッテリーコーチ。2022年限りで退団。

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詳細情報

年度別打撃成績

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年度別守備成績

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記録

初記録

背番号

  • 46(1983年 - 1987年)
  • 23(1988年 - 1993年)
  • 31(1994年 - 1999年)
  • 97(2000年 - 2003年)
  • 81(2004年 - 2007年)
  • 84(2008年 - 2022年)
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脚注

関連項目

外部リンク

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