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泉州山喜裕
日本のタレント、元大相撲力士 ウィキペディアから
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泉州山 喜裕(せんしゅうやま よしひろ、1975年9月1日 - )は、大阪府堺市堺区出身で高砂部屋所属の元大相撲力士、株式会社KP所属のタレント。本名は、佐藤 喜裕(さとう よしひろ)。大相撲時代の体格は身長178cm、体重142kg、現在は身長178cm、体重120kg。得意手は、突き、押し。自己最高位は、東十両筆頭(2002年11月場所、2005年7月場所)。趣味は、舞台鑑賞、釣り、バイクツーリング。
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来歴
鮮魚店の次男。中学校1年生の時はハンドボール部だった。此花学院高等学校を1年で中退し、髙砂部屋に入門。1992年5月場所に初土俵を踏んだ。小柄だったため三段目でやや苦労したが、着実に番付を上げて行った。幕下に昇進してからは、大勝ちも大負けもなく安定した成績を残した。2000年5月場所に十両に昇進した。しばらく十両と幕下を往復する生活が続いていたが、2002年3月場所に4度目の再十両を果たすと十両に定着。優勝争いに加わるなど健闘した。腰の故障もあり一度は幕下に陥落したが、直に十両に戻り入幕を狙える地位まで番付を上げた。2場所連続負け越しで迎えた2005年11月場所は東十両5枚目で2勝7敗から6連勝して勝ち越し。2006年1月場所は西十両3枚目で新入幕を狙ったが、なかなか星が伸びずに3勝12敗と大敗を喫した。翌3月場所も西十両12枚目で7勝8敗で2場所連続の負け越しとなってしまったが、翌5月場所も同じ地位に据え置かれた。しかし、その場所は6勝9敗と負け越し、翌場所は無念の幕下陥落となった。幕下でも2場所連続して負け越し、11月場所で負け越すと1年全て負け越しだったが、東幕下36枚目で4勝3敗と勝ち越し面目を保った。東幕下27枚目だった2007年1月場所後の1月21日、日本相撲協会に引退届を提出した。
引退後は元大関の小錦八十吉が経営する株式会社KPに所属し、タレントとして活動している。
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エピソード
大相撲時代
- 諏訪錦の四股名は地元の「諏訪森商店街」から由来。しかし長野県に巡業で訪れた際に、諏訪市出身と勘違いされて大声援を浴びてしまい、真面目な性格であったため悪いと思って直後に泉州山と改名した(泉州山は故郷・大阪府泉州地方から由来)。
- 実家が鮮魚店を営んでおり、元幕内・龍興山(出羽海部屋所属)の母も手伝いに来ていた。しかし、龍興山が新入幕の場所後に急逝してしまい落胆した龍興山の母の姿を見て、いずれは大相撲の世界に進もうと決意したと言われている。
- 引退する場所以外は、休場が一度も無かった(引退場所は全休)。
- 2002年7月場所の濱錦、千代天山、追風海、2002年11月場所蒼樹山、2003年3月栃乃花、2005年7月武雄山、隆乃若戦と7度幕内の土俵に上がった。
- 現役時代は左に顔を傾けていたが、これは右目の視力が悪く、また利き目が左目であったため自然と傾けてしまっていたという(なお利き手も左手である)。
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主な戦績
- 生涯成績:412勝405敗7休 勝率.504
- 十両成績:180勝210敗 勝率.462
- 現役在位:89場所
- 十両在位:26場所
場所別成績
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改名歴
タレントとしての活動
音楽
- ドスコイ・ダンシング(2010年5月26日発売) KONISHIKIの楽曲。攻勢力勇、火の竜清徳らとともに「ドスコイダンサーズ」としてバックダンサー
映画
- 劇場版TRICK 霊能力者バトルロイヤル(2010年5月)
CM
- 日清食品「太麺堂々」
- ABC (静岡県のパチンコ業) 「楽しさは、数で決まる。 関取編」
舞台
- 戯曲推理小説
- 留守
- かんしゃく玉
- 紙風船
- 温泉の効能(2009年9月11日~12日、武蔵野芸能劇場 小劇場)
コンサート
- 昭和八十三年度! ひとり紅白歌合戦 (桑田佳祐 Act Against AIDS 2008) 力士役
公演
関連項目
外部リンク
- 株式会社KPの所属タレント紹介 泉州山 喜裕
- 泉州山 喜裕 - 日本相撲協会
- 泉州山 喜裕 - 相撲レファレンス
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