トップQs
タイムライン
チャット
視点
泰阜村
長野県下伊那郡の村 ウィキペディアから
Remove ads
泰阜村(やすおかむら)は、長野県下伊那郡の南部に位置する村。村名は漢詩の「泰山丘阜」に由来する[1]。


Remove ads
地理
隣接している自治体
歴史
- 室町時代には知久氏の領地だった。
- 1555年に武田信玄が知久氏を滅ぼし、前澤若狭守の領地となった。
- 1869年(明治2年)2月 - 伊那県に編入する。[2]
- 1871年(明治4年)6月 - 戸籍法が公布され、伊那県戸籍区の第十一区(金野村、平島田村、唐笠村、門島村、黒見村、万場村、平野村、明島村、田ノ口村及び柿野村)、第十三区(左京村、鍬不取村、打澤村、高町村、稲伏戸村、怒田村及び南山村)が設置された。戸籍区の発足によって従来の名主、庄屋及び年寄制は廃止され、戸長・副戸長制となる。
- 1872年(明治5年)4月 - 筑摩県第一六五区(左京村外七ヵ村)及び第一六六区(平島田村外九ヵ村)を設置する。
- 1873年(明治6年)3月 - 筑摩県第一六五区、第一六六区、第一六七区、第一六八区、第一七〇区、第一七一区及び第一七二区が第二十二大区に編入する。第一六五区を第一小区に、第一六六区を第二小区となる。
- 1875年(明治8年)1月23日 - 伊那郡南山村、唐笠村、金野村、怒田村、左京村、平島田村、鍬不取村、平野村、田野口村、柿野村、明島村、門島村、打沢村、黒見村、高町村、稲伏戸村及び万場村が合併して、泰阜村が発足する。
- 1876年(明治9年)8月21日 - 長野県の所属となる。
- 1879年(明治12年)1月4日 - 郡区町村編制法の施行により、下伊那郡の所属となる。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、泰阜村の区域をもって、泰阜村が発足する。
- 1939年(昭和14年) - 満蒙開拓移民の分村が現地に発足する。
Remove ads
歴代村長
要約
視点
行政
人口
![]() | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
泰阜村と全国の年齢別人口分布(2005年) | 泰阜村の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 泰阜村
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
泰阜村(に相当する地域)の人口の推移
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||
総務省統計局 国勢調査より |
Remove ads
交通
鉄道
村役場は門島駅が最寄りであるが、距離がある。特急「伊那路」は村の南部にある温田駅に停車する。
路線バス
- 南部公共バス - 南信州広域連合・南信州地域交通問題協議会が主体となり大新東に委託。平日のみ運行(土日祝日運休)。温田駅と飯田市を阿南町・下條村経由で結ぶ阿南線、温田駅と売木村を阿南町経由で結ぶ温田線の2路線がある。いずれも泰阜村内では温田駅とその周辺部しか経由しない。
- 飯田病院前 - 飯田駅前 - 川路駅 - 学校前 - 車庫前 - 温田駅前
- こまどりの湯 - 売木 - 新野支所前 - 車庫前 - 温田駅前
- 福祉バス - 平日のみ運行。曜日により時刻・運行経路が異なる。
泰阜村内を運行する泰阜線が2018年3月限りで廃止されたため、村役場とその周辺の地域へは公共交通を利用してアクセスすることができない。
道路
- 村域を通過する国道はなく、通過する主要地方道と村道のみが存在する。
- 村内に信号機は1台も設置されていない。
- 県道
ナンバープレート
- 南信州ナンバー
Remove ads
学校
- 全て村立。
- 泰阜小学校
- 泰阜中学校
- 2010年度までは南北に小学校が1つずつ存在したが、2011年4月に南北が統合し、泰阜小学校となった。現在は泰阜中学校と同敷地内に小学校が設立されている。
文化
寺院
- 福壽院
マスメディア
テレビ局
- ケーブルテレビ局
備考
脚注
参考文献
泰阜村出身の有名人
関連項目
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads