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玉川八十八ヶ所霊場

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玉川八十八ヶ所霊場(たまがわはちじゅうはっかしょれいじょう)は、多摩川沿いの東京都世田谷区大田区品川区神奈川県川崎市横浜市にある88ヶ所の札所によって構成される四国八十八箇所の写し霊場[1]

歴史

開創された時代については諸説あるが明確ではない。明治時代の初期には賑わったと伝えられるが、後期になると廃れてしまった[1]。「四郡八十八所」と刻まれた5基の標石が札所に伝わり、古くは41番安穏寺1758年宝暦8年)、46番正福寺1759年(宝暦9年)のものがある。但し、札番はいずれも今日のものとは異なる。「四郡」が玉川八十八ヶ所の分布する荏原郡多摩郡橘樹郡都筑郡を指すものと考え、四郡八十八所が土台となって今日の玉川八十八ヶ所へと発展したとする説がある。また、1905年(明治38年)の52番西澄寺の標石以降は「多摩川」銘が見られるようになり、札番も現在の札番と一致することから、この頃までに「多摩川八十八ヶ所」が成立していたと考えられている[2]

1916年大正5年)に「永楽講」が結成され、各寺院御詠歌扁額を奉納するなど霊場の復興に力を入れた。しかし、その後の戦争によって再び巡拝者は絶えることとなった[3]

1973年昭和48年)の弘法大師生誕1200年を迎えるにあたって川崎大師・平間寺が中心となり再興した。その際、多摩地域にある多摩四国八十八箇所との紛らわしさを避けて旧来の「多摩川八十八ヶ所」から「玉川八十八ヶ所」に名称を改めた[3]

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出典

参考文献

関連項目

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