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石見国

遠国に属する令制国の一つ ウィキペディアから

石見国
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石見国(いわみのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。山陰道に属する。

概要 石見国, 別称 ...

概要

東西に長いため、大田市を中心とする東部を「石東」、浜田市を中心とする中部を「石央」、益田市を中心とする西部を「石西」と呼び、三分される[1]

また、中国山地を唯一越える江の川が流れており、安芸国との結びつきも強い。

領域

明治維新の直前の領域は、浜田市益田市江津市邑智郡鹿足郡および大田市の大部分(山口町山口・山口町佐津目を除く)、出雲市の一部(多伎町神原)、飯石郡の一部(飯南町塩谷・井戸谷・畑田)、広島県山県郡の一部(北広島町西八幡原の一部)にあたる。

該当区域の面積は3,585.41k㎡、人口は21万1940人(2010年国勢調査)。(1)

沿革

古墳時代崇神天皇朝)の大和王権による出雲国の攻略と同時に石見国造が設置され、その支配領域は7世紀の律令制石見国に引き継がれた。

延喜式』に石見国の駅として、波祢はね託農たくの樟道くすち・江東・江西・伊甘いかみがみえる。駅は郷と同じ行政単位でもあった。

近世以降の沿革

国内の施設

国府

和名抄』によれば、国府は那賀郡にあった。現在の浜田市の伊甘(いかみ)脇遺跡付近や上府(かみこう)遺跡・古市遺跡辺りなど諸説あるが、遺構が発見されていない。また、浜田市下府町(しもこう)へ移転したとする説もある。

国分寺・国分尼寺

石見国の国分寺・国分尼寺は浜田市国分町にある。現在の曹洞宗の国分寺が国分尼寺跡と推定されている。その近くの金蔵寺(こんぞうじ)境内が国分寺と考えられている。部分的な発掘であるが、当時の山門・金堂・講堂・塔跡などの礎石と推定されるものが検出されている。

神社

延喜式内社
延喜式神名帳』には、小社34座34社が記載されている。大社はない。石見国の式内社一覧を参照。
総社一宮以下
  • 総社 庄社 - 伊甘神社(浜田市下府町)境内社。
  • 一宮 物部神社大田市川合町)
  • 二宮 多鳩神社 (江津市二宮町)
  • 三宮 大祭天石門彦神社 (浜田市相生町)

地域

江戸時代の藩

人物

国司

石見守

守護

鎌倉幕府

室町幕府

国衆

安濃郡
  • 刺賀氏
邑智郡
邇摩郡
那賀郡
美濃郡
鹿足郡

戦国大名

武家官位としての石見守

江戸時代以前

江戸時代

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名産

脚注

参考文献

関連項目

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