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第20回国民体育大会

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第20回国民体育大会(だい20かいこくみんたいいくたいかい)は、1965年(昭和40年)に岐阜県を中心として行われた。岐阜県で初めて行われた国体。

概要

夏季大会が9月19日~23日(会場:3市町村)に、秋季大会が10月25日~29日(会場:16市町村)に行われた。選手、役員など参加者数は夏季大会約4,000人、秋季大会約16,500人。秋季大会の開会式では7色の風船1万個と200発の花火が放たれた。なお岐阜県は内陸県であるため、ヨット競技は愛知県蒲郡市で行なわれた。

前年に東京オリンピックが行われ、オリンピック選手が多く出場することもあり注目を集めた。

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概要

  • テーマ
    • 明日の力を育てる国体
  • スローガン
    • 明るく つよく 美しく
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冬季大会

概要 冬季大会スケート競技会, 開催地 ...

スケート競技会

第20回国民体育大会冬季大会スケート競技会は、1月26日1月29日長野県茅野市で行われた。[1]

実施競技・会場一覧

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スキー競技会

第20回国民体育大会冬季大会スキー競技会は、2月14日2月17日兵庫県日高町 (現豊岡市)で行われた。

実施競技・会場一覧

夏季大会

実施競技・会場一覧

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秋季大会

実施競技・会場一覧

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炬火採火式

  • 炬火採火式は全国的に有名な東京大学東京天文台コロナ観測所のある乗鞍山頂(3,026m)で10月21日、県立斐太高校生の高松典子の手によって集光鏡により太陽光線から採火され行われた。山頂は前日からの小雪も降り止み、白銀まばゆい雪上で紺碧の空より降り注ぐ太陽光線から採火された炬火は平湯峠まで運ばれ、当時の岐阜県知事である松野幸泰知事によって点火式が行われ、14市町村を経て開会式場である岐阜県総合運動場陸上競技場まで全行程198.3km、128区間を4日間にわたり1,536人により開会式会場までリレーされた。最終炬火ランナーは当時岐阜高校3年生の古田肇第51代 岐阜県知事)である。

記念切手

1965年(昭和40年)10月24日に、「鞍馬」と「競歩」のデザインで5円切手2種類が発行された。縦9cm×横16cmのスタンプ押印ページの付いた小冊子風の切手で各2,500万枚、計5,000万枚発行された。

大会運営

岐阜県では、県民170万人(昭和40年当時)で大会を盛り上げる為に「伸びゆく県民運動」として7つの県民運動[4]が推進され行われていた。

選手など全員の宿泊所の確保が出来ない地域では、一般家庭に泊まる民宿が行われた。宿泊費[5] は1泊3食付800円(選手・監督以外の参加者は1,200円)で、米代は別途104円[6]必要だった。

その他

  • 岐阜国体閉幕後の11月6日~7日に第1回全国身体障害者スポーツ大会が開催された。
  • 岐阜県の県立高校では国体に伴い、事務の簡素化のためそれまでの3学期制を前期・後期制に改めた。この制度は今日まで続いており、結果的に岐阜県では全国的にみてかなり早期に事実上の2学期制がスタートすることとなった。

総合成績

天皇杯

皇后杯

脚注

参考文献

関連項目

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